2007年07月28日
◆ Wiki型と 2ch型
ネットに棲息する人間は、二種類に区別される。
・ Wiki型 …… 知識を構築する
・ 2ch型 …… 他者を攻撃する ──
まず、原理として、次のことを理解しておこう。
「完全な人間はいない。誰もが少しは誤りをなす。ただの不正確さをなすというのも含めて、完璧に正確なことだけを語る人はいない」
要するに、人間は神様じゃない、ということだ。
では、他人の誤り(または不正確さ)を見出したとき、どうするか? 次の二通りに分かれる。
(1) Wiki型
見つけた誤りを修正する。他人の記述に、9の正確さと、1の不正確さを見出したならば、1の不正確さを修正する。
こうして、他人の書いた知識と、自分の書いた知識とを複合して、より大きな知識を構築する。衆知を合わせて、大きな知識を構築する。
これは「建設的」な態度である。( Wikipedia で見られる。)
(2) 2ch型
他人の誤りを見つけると、その他人を人格攻撃する。9の正確さは無視して、1の不正確さだけを強調して、「バカだ、トンデモだ、阿呆だ」と大騒ぎする。
ここで、間違ったところを修正してあげれば、(1) のタイプになるが、そういうことはしない。「こうすれば正しくなる」というふうには主張しない。単に「バカだ、トンデモだ、阿呆だ」と相手を攻撃する。
これは「破壊的」な態度である。(2ちゃんねるで見られる。)
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この両者の違いは、ブログのコメント欄を見ると、はっきりする。
Wiki型の人は、「正しくはこうではないでしょうか?」と、誤りを修正したコメントを書く。
2ch型の人は、「おまえの書いたことは間違いだ」と、やたらと悪口を書く。
ここで、面白いことがある。両者は、同時に成立しないのだ。
(1) Wiki型の人は、「自分だって間違いをすることはある」と自覚しているから、他人の誤りにも寛容である。礼儀正しく、間違いを指摘してあげる。
(2) 2ch型の人は、他人の間違いを指摘するが、どこがどう間違っているかを、具体的には指摘しない。たとえば、用語のミスなどを取り上げて、「この用語をこういうふうに勘違いするとは、何というバカだ。知識もないのか」とあげつらう。Wiki型の人ならば、「それは不正確だから、こういうふうに言い換えた方がいいでしょう」というふうに書くが、2ch型の人は、修正案を示すことはなく、単に「間違いだ、間違いだ」と騒ぐだけだ。当然、読んだ人は、何が正しいのかを知らされず、単に悪口を聞かされるだけだ。読んで、辟易する。
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さて。話は続く。
2ch型の人は、なぜ誤りを指摘しないで、他人を攻撃することに熱中するのか? そのわけは、後述するが、ちょっと考えてみてください。
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2ch型の人は、誤りを指摘しないで、他人を攻撃することに熱中する。
そのわけは、他人を攻撃することが、自分にとって楽しみだからだ。
ではなぜ、楽しみか? それは、「いじめ」と同じ原理である。自分自身が不幸な状況にあると感じている人は、その不幸の憂さを晴らすために、他人を攻撃する。
幸福な人は、自分の幸福を他人に分けて上げようと思って、他人に優しくなる。そういう人は、Wiki型になる。
不幸な人は、鬱々とした気分が高まって、なかば神経症的な立場になって、他人を攻撃せずにはいられない。子供ならば、いじめをする。大人ならば、ネットで他人を攻撃する。……それが 2ch 型だ。
2ちゃんねるにいる人は、定職ももてないで、貧乏状況になっている人が多い。だからこそ、他人を攻撃せずにはいられない。他人の小さなアラを見つけたら、それを修正して上げる余裕などはなく、鬼の首でも取ったように、大騒ぎして、他人を攻撃して、憂さを晴らす。
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とすれば、その人が Wiki型であるか 2ch 型であるかを見れば、その人の幸福の度合いもわかる。
やたらと他人の悪口を書いて憂さを晴らす人を見たら、その人はとても不幸な状況にあるのだ、とわかる。そういう人を見たら、「可哀想に」と同情して上げればいいのだ。一種の精神病の病人のようなものである。こういう人を相手にしてはいけない。相手にすると、自分の頭までおかしくなる。
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なお、以上では、二通りを示したが、他に、「ホームページ型・ブログ型」というのもある。
ホームページ型は、自分の知識を他人に与えるという意味で、Wiki型に近い。ネット全体を巨大な Wikipedi にしているようなものだ。
ブログ型は、千差万別である。ホームページ型に近い人もいるし、他人の悪口ばかりを書いている 2ch 型の人もいる。
たとえば、ある有名なブロガーは、他人の悪口を言うのが生きがいだ。政府の悪口を言うことは少なくて、個人攻撃をするのが大好きである。
攻撃する相手が小説家だとしよう。すると、相手の主張にはお構いなしに、「おまえの小説なんてクズばかりだよ」と個人攻撃をする。
いったい、当の話題と、相手の小説の出来とが、どう関係しているか? そんなことは、お構いなしだ。ここでは論理など、ハチャメチャである。というのは、あくまで個人攻撃をして、うっぷんを晴らすのが目的だからだ。うっぷんを晴らすことができれば、論理などはどうでもいいし、相手が誰でも構わない。とにかく、悪口を言うのが、自分の生きがいだ。
こういう人には、近づきたくない。とはいえ、世の中には、2ch 型の人がたくさんいる。そういう 2ch 型の人は、こういうブロガーのところに集まるものだ。
ネットには、こういう 2ch 型の人がとてもたくさんいる。あまり関わりにならないように、注意するのが、一番いいかもしれない。
( ※ 上の話を読んで、「その有名ブロガーって誰?」と思ったら、あなたは 2ch 型である。その理由は、簡単にわかるだろう。)
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なお、ついでに一つ、役立つ知識を加えておこう。
他人を攻撃する人は、そのことで、他人を不幸にするよりは、自分自身を不幸にしているのだ。他人を攻撃すれば攻撃するほど、自分の精神が卑しくなり、いっそう不満が高まる。
つまり、他人を攻撃することで、他人だけでなく自分自身をも攻撃していることになる。
だから、そういう人は、いくら不幸でも、他人を攻撃するのをやめた方がいい。そうすれば、自分を幸福にすることができる。
このことは、社会奉仕活動を見るとわかる。「社会奉仕活動なんてくだらない」と思っている人は、とても不幸だ。「社会奉仕活動はすばらしい」と思っている人は、とても幸福だ。
人は、与えれば与えるほど幸福になり、傷つければ傷つけるほど不幸になる。とすれば、社会奉仕活動をする人は、多くを与えることによって、自分自身は幸福を得ているのだ。実際、社会奉仕活動をする人は、とても素敵な笑顔をするものだ。(他人を攻撃する人は、どんどん醜い顔になるが。)
過去ログ
いつも拝見させて頂いています。
南堂さんの言う「wiki型」と「2ch型」の違いは、ある人が述べた意見を、60億分の1の見解として捕らえるのか、ただコトの正否・賛否だけで捕らえるのかの差でもある様な気がします。
意見、主義・主張の多様性を理解出来ない人達は、『攻撃』という手段を選択するのでしょうね...
私は、今まで見聞きした中で、一番重要なのは「遊び心」ではないかと感じています。
コレが無ければ、個人のホームページやブログなどは、愉しさが半減する様に思います。
あくまで、一個人の意見ですが...
ただ、英語圏ではスペルミスがすごく恥ずかしい
事になるそうで、立派な意見が少しのミスのせいで説得力をなくし失笑を買い、とんでもない打撃を受けるといいますか、立派な演説をしている人のチャックが…みたいな…
サイト等の文章は省力化の為に誤字脱字は
直さない、内容は伝わるから、という方針こそ、
思い切って変更したほうがいいのではないのかな?と本当に思うのです。よろしくお願いします。
という皮肉はさておき、
WikiというのがどこのWikiを指しているのか、漠然とWiki全体のことを言うのかわかりませんが、Wikipediaなどの利用体験からすると、正確でないことは書くなとむしろ怒られます。
「知識」は書き込めますが、「相談」はできません。閲覧者からすると「情報は自分で探せ」ということになります。
2chというのが掲示板システム全体をさしているのか、2chのみを指しているのかわかりませんが、前者だとすると、
推測、憶測でもモノを書けるので、「正確な知識」ではないかもしれませんが、属易に「相談」が可能です。
そういった意味で、表裏一体になっていると思います。
掲示板で相談し、Wikiに誘導するのが最適解ではないでしょうか。
(2ch住人に対しての人続攻撃については、その気はないので避けます)
本項では、概念を示すために便宜的に 2ch , wiki という言葉を借用しただけであって、現実の2ちゃんねるや Wikipedia について論じたわけではありません。
一般概念について抽象的に述べたのに、「それは自分への攻撃だ」というふうに属人的に解釈するわけ。
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これは 2ch 型っぽい発想ですが、正確には「モヒカン族」に対する「ムラ社会」の発想です。誰かが事実について発言すると、それを人間関係でとらえてしまう。
詳しい内容を知りたければ、
「モヒカン族とは はてな」
で検索すればわかります。
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とにかく、本項のテーマは、Wikipedia 論でもないし、2ちゃんねる論でもありません。それらについては単に名前を借用しているだけです。
>直さない、内容は伝わるから、という方針
誤字脱字が多くて申し訳ありません。
私としては、これは決して正当化しているわけではなくて、申し訳なく思っています。気づいた範囲ではなるべく直しています。ただ、気づかない分は、直しようがないので。
「じゃ、どうして時間を掛けて推敲しないのか?」
と言われると、「時間がないから」となります。
使う時間は限られているので、推敲か執筆か、二つに一つです。推敲すれば、執筆の時間が減ります。おおむね、現在の半分ぐらいの量になります。
私が複数のサイトで大量に書いているのは、推敲しないからです。推敲するようになると、分量を大幅に減らさなくてはなりません。たとえば、このブログでも、現在の分量の半分ぐらいになります。
誤字・脱字をなくすか、量を半分にするか、の二者択一です。その上で、「量を減らすよりは、誤字脱字を直そうとしない」という方針を取ります。「直さない」のではなく、「直す時間を取れない」ということです。ごめんなさい。
それでもまあ、気づいた範囲では、直しています。元はもっと誤字・脱字があったんです。「誤字野郎」と言われても仕方ないですが。……なお、誤変換は、すべて ATOK のせいです。「何だ、機械任せなのか」と言われれば、「灰、その通り」です。(あ、ここでも誤変換。あえて残す。)
が嫌いなようですが、2chの荒らし
ですら誤字を指摘することはまずありません
管理人さんの誤字は、意味が分かる範囲内
なんであまり気になりません。
普通は管理人さん程度の誤字は脳内変換
して読み進めます
なるので知識構築は難しいです
でも2chも進化しています。昔は氏ね、アホ
という書き込みが多かったが、今は役に立つスレ
も多いですし、株式板の書籍スレのように
知識構築をしようという試みもあります
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>ネットに棲息する人間は
あのなぁ、人間がネットに棲息するわけねえだろうが〜〜〜。逝ね、このボケがw
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こんな具合でしょうか?
WikiWikiWikiWikiWikiWikiWikiWikiWikiWiki
>ネットに棲息する人間は
“ネットに棲息する”という表現に違和感を禁じえないのですが、これも表現が文明とともに進化する典型的な例であろうと思います。数年後には
大学入試の試験に出題候補bPな漢字ですね。
>「灰、その通り」です。
これは、僕もよくやっちゃいますね。「廃、その通り」という表記もたまに見かけることもあるのですが、個人的に「廃」はあまりよい漢字がしません。
WikiWikiWikiWikiWikiWikiWikiWikiWikiWiki
う〜ん、なかなか無図香椎ものですw
モヒカン族とは −はてなキーワード
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%E2%A5%D2%A5%AB%A5%F3%C2%B2
によれば、
絶対多数の幸福が最良の状態と考えるわたしはまさしくモヒカン族です。
その一部分でのみ不幸が発生しないように努力するムラ社会とは相容れないかもしれません。
2ch型とWiki型が、どちらがどちらに該当するのかは知りませんが。