2007年05月31日

◆ 神はサイコロを振らない?

 「神はサイコロを振らない」とアインシュタインは述べた。 ( → Wikipedia
 この説は、量子論の学者には評判が悪い。だが、私としては、アインシュタインを支持する。 ──

 私がこのように述べると、私とアインシュタインの二人はそろって「トンデモだ」と呼ばれるだろう。
 だが、そういう批判を承知の上で、私は「神はサイコロを振らない」という言葉を支持する。 その理由は、次の通り。 ( ※ 「エネルギーの密度」という原理)

 ──

 超球理論 によれば、次のようになる。
 「量子とは、複素数の超球のことだ。超球は、回転することもあり、静止することもある。回転する超球は、いわゆる振動状態と同じであり、(実数の世界では)観測されない。一方、静止する超球は、素粒子として観測される。」

 これに基づいて、次のように結論が出る。
 「回転する超球の集団のうち、どの超球が静止するかは、確率的に決まる」
 これをわかりやすく言い換えれば、次のようになる。
 「サイコロに相当するものは、超球の集団である。たとえば、超球が百万個あって、それらが回転して、そのうちの1個だけが静止する。どれが静止するかは、確率的に決まる」

 この発想に基づけば、次のように結論できる。
 「超球というものを仮定しないで、素粒子だけを考えれば、素粒子がどこに現れるかは、(素粒子について)確率的・偶発的に決まるだけだ。それは、まるで架空の神が、架空のサイコロを振ったように見える。しかし、超球というものを仮定すれば、(超球について)確率的・偶発的に決まる。ここでは、架空の神も、架空のサイコロも、必要ない。現実にある超球が確率的にふるまうだけだ

 では、そのことの原理は? 次のことだ。
 「量子論における確率の本質は、エネルギーの分布である。ただし、このエネルギーは、局所的には一つの粒子を発生するには足りないエネルギーである。たとえば、 ΔX という領域にあるエネルギーは ΔE であるが、 ΔE は、 一つの量子を発生させるに足るエネルギー E0 に満たない。ただし、それにもかかわらず、一つの粒子が発生する確率は 0 ではない! ここが量子の特性だ。その確率は 0 ではなくて Ψ である。その Ψ という値を ΔX ごとに積分すると、全領域では確率が 1 になる」

 要するに、「確率波」と見なされているものは、実は、「エネルギーの密度波」である。エネルギーが高いほど、波が粒子に転換する確率が高まる。
 これが量子における確率の本質だ。つまり、量子の発生確率とは、(1個の粒子を発生するに足りない程度の)エネルギーの密度のことだ。ここでは、神がサイコロを振っているから事象が確率的に起こるのではなく、エネルギーの密度が(最低限度 E0 に満たない形で)自然界に分布しているから、事象が確率的に起こる。

 ──

 二つの考え方の違いは、確率的であるか否か、ということではない。確率的な現象を起こす原因のことだ。
 たとえば、二重スリット実験で考えよう。次のように分かれる。
 普通の物理学者は、「二重スリット実験で、どこに粒子が出現するかは、確率的に決まるだけだ。自然そのものが気まぐれなのだ(確率的だ)」と主張するだろう。ここでは、「粒子」という現象を見て、その現象に「確率」を見出す。
 私は、「二重スリット実験で、超球のエネルギーがなだらかに分布する。ここではエネルギー分布そのものが実在する。その超球のエネルギー分布に基づいて、粒子の発生が確率的になる」と主張する。ここでは、「粒子」という確率的現象の根源に、「エネルギーの分布」という現実的な分布を見出している。──だから、二重スリット実験では、(抽象的な)確率波が干渉しているのではなくて、(現実的な)エネルギー分布が干渉しているのだ。

 普通の物理学者は、「素粒子のふるまいは素粒子だけで決まる」と考えるから、素粒子のふるまいはただの確率的現象(=神の気まぐれ)としか見えない。
 一方、私は、ただの確率的現象(=神の気まぐれ)というものを否定する。確率的現象の奥には、別の深い原理があるのだ、と推定する。
( ※ では、別の深い原理とは? アインシュタインは、何も語らなかった。私は「それは超球の原理だ」と明確に語る。私の発想とアインシュタインの発想は、根源では同様だが、原理を示しているところだけは、私とアインシュタインの違いだ。)

 ──

 最後に、直感的に示そう。

 あるミクロ的な事象を調べたら、「1,2,3,4,5,6」という六つの値が均等に発生した。これを、どう解釈するか? 

 量子力学者は、こう主張した。
 “ 神がサイコロを振っているのだ。すなわち、自然というものは、もともと確率的なのである。その原理を問う必要はない。単に「自然は確率的だ」と理解するだけでいい”

 アインシュタインは、こう主張した。
 “ 神はサイコロを振らない。すなわち、自然というものは、偶発的に決まるものではない。そんな発想はデタラメだ。自然というものは、もっと美しい整然とした調和によって描写されるべきだ”

 私(南堂)は、こう主張した。
 “ アインシュタインの見解は正しい。自然には美しい調和がある。それは「超球の回転」だ。比喩的には「コインの回転」だ。これは単純で美しいものだ。そして、この「コインの回転」がいろいろと組み合わさることで、結果的に「1,2,3,4,5,6」という六つの値が均等に発生する。これらの値は、確率的に発生すると見えるが、そう見えるのは見かけ上のことだ。本当に確率的なのは、「超球の回転」ないし「コインの回転」だけである。この確率的な根本原理が複雑に組み合わさることで、「神がサイコロを振った」と見えるような現象が起こる。しかし、そこで「神がサイコロを振った」と思うのは、ただの見かけ上のことにすぎない。”
 要するに、神は(六つの値をもつ)サイコロを振っていない。コインを回しているだけだ。── それが私の見解だ。

 ※ より正確に言えば、「神がコインを回している」のではなく、「この世界がもともとコインで構成されている」のだ。(この点は → 物理と確率

 ※ 実例で言うと……二重スリット実験も、シュレーディンガーの猫におけるアルファ粒子の分裂も、それらの実験事実をすべて「確率的現象」と見なして、個別に「確率」を想定するのが、普通の量子力学者。一方、さまざまな「確率的現象」について、それらに一つ一つ別の確率を見出すかわりに、根源的な「超球の回転」という(唯一の)確率だけを見出すのが、超球理論。



【 数学的な解説 】

 数学的に「確率」の意味を説明しよう。(理解していない物理学者が多いようなので。)
 「確率とは、サイコロの目のように、バラバラに(ランダムに)分布する事象のことだ」
 と思っている人が多いようだが、それは正しくない(不正確である)。正しくは、次の通り。
 「根源的な意味の確率は、無定義語である。単に《 まったく均等に発生する事象 》が仮定されるだけだ。そこで得られた確率を組み合わせて、複雑な確率を得る」
 たとえば、「コインの裏表は、50%の確率だ」ということが最初にある。
 それを組み合わせて、「裏・裏・裏」と三つ続く確率はこれこれになる、というふうに推定する。
 ここでは、最初の裏表の「50%」という値自体は、無定義語または公理である。つまり、天下り的に与えられるものである。それを証明することはできない。単に原理として受け入れるだけだ。

 こういうふうに理解すれば、量子力学における「確率」の意味も明らかになるだろう。それは単にバラバラに生じる事象のことではない。根源的な確率(根源的なバラツキ)から得られる、複雑な確率(複雑なバラツキ)のことだ。
 サイコロの裏表ならば、「裏・裏・裏」と三つ続く確率の値は簡単に推定される。一方、量子ならば、電子の存在確率の値は量子力学の方程式で与えられる。いずれにせよ、これらの確率は、ある一つの根源的なバラツキからもたらされるものだ。(神がサイコロを振っているせいでバラツキが生じるのではない。)




 【 蛇足 】
 蛇足で、下手な比喩で示す。(特に読まなくてもよい。)
 ──

 比喩的に言おう。
 六角柱の鉛筆を転がして、1〜6の目を出す。そのバラツキは、サイコロのバラツキと同じだ。
 ここで、「鉛筆を転がす」という過程を考えないのならば、(最終的に現れた静止状態の鉛筆だけを見て)、どの目が現れるかがまるで「神がサイコロを振った」というふうに感じられる。
 しかし、「鉛筆を転がす」という現象を考えるのならば、「鉛筆を転がす」ということ自体が確率的な現象だとわかる。

 六角柱の鉛筆を転がした結果(1〜6の目のバラツキ)を見たとき、普通の物理学者は、「神がサイコロを振った」と主張するだろう。しかし、私とアインシュタインは、「神はサイコロを振らない。誰もサイコロを振らない。かわりに、人間が鉛筆を転がす」と主張する。つまり、事実だけを見る。

 もう少し正確に言おう。上述のような鉛筆の目を見たとき、普通の物理学者は、「これは確率的な現象なのだから、あくまで確率的に扱えばいい。それで十分だ。サイコロと同じだと扱えばいい。計算結果はそれで合うのだから、それでいい」と主張するだろう。
 一方、私とアインシュタインは、「いや、違う。六角柱の鉛筆は、六角柱の鉛筆である。結果はサイコロと同じだとしても、神がサイコロを振ったわけではない。六角柱の鉛筆というものが自然界に存在するのだという事実を見よう」と主張する。

 要するに、「六角柱の鉛筆」というもの(= 超球)を、見るか見ないか、という違いがある。結果の数値は同じだが、「物事の真相を見るか見ないか」という違いがある。その違いによって、一方は「神はサイコロを振る」(すべては確率的だ)と主張し、「他方は「神はサイコロを振らない」(確率的な現象の奥に別のものがひそむ)と主張する。




 前項の「波動関数の収束」も参照。

 本項の解説としては、次の箇所も参照。詳しい説明がある。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/summary.htm#prob
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/2slits1.htm#20c

 後日、次の項目も書いた。
 → 物理と確率
   http://openblog.meblog.biz/article/1379266.html
posted by 管理人 at 21:17| Comment(15) | 物理・天文 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この論文を超球理論ではどう料理しますか?
Posted by 全充 at 2007年07月16日 17:50
上記コメントでは判りづらかったですね。
PDFファイルです。
エンタングルメントをうまく使って
スリットに手を加えず、干渉の有無を実現しています。
http://grad.physics.sunysb.edu/~amarch/Walborn.pdf
Posted by 全充 at 2007年07月16日 18:10
管理者指定のマナーを守りましょう。

実験内容を要約します。
詳しくは、ホームページにも書いてあります。(つもり)

量子:エンタングルメントな双対光子(垂直か水平偏光どちらかの状態。お互い片方が垂直なら、もう片方は水平なエンタングルメント)
片方は偏光状態(垂直、水平を観測)測定装置に
もう片方はスリットを通って通常スクリーンの位置に配置された位置測定器列(右回、左回偏光も同時に測定:この同時測定は必要無いかもしれない)へ

スリットには偏光装置を配置
左側のスリットには:垂直偏光を左回偏光へ水平偏光を右回偏光へ変換するものを
右側のスリットには:垂直偏光を右回りに水平偏光を左回りに変換するもの

これでスリットに向かった光子の偏光状態が垂直か水平かがわかってスクリーン上の位置測定器で右回、左回偏光がわかればどちらのスリットを通ったかがわかる(最も偏光測定器に向かった光子の偏光を測定しなければスリットに向かった光子の偏光もわからない)

レーザビームは秒間1,000個程度に調整
(スリット・スクリーン間に光子は1個以上存在しないに十分な間隔)

この条件で偏光測定器で測定した場合はスクリーンに干渉縞が現れ(正確には位置測定器列のどれかで観測され、数多く観測すれば、強弱が顕著になる)
測定しない場合干渉縞が現れない。

スリット・スクリーン間の条件は全く変更していないにもかかわらず、干渉縞が出来たり出来なかったりする。

本サイトの超球理論の論文にはこの観点の考察が抜けていると思いまして。

実験論文は確かなもので、世間的に実験の正当性は認められているようです。(二重スリットの干渉縞実験の一つとして)
Posted by 全充 at 2007年07月17日 12:37
訂正です。
>この条件で偏光測定器で測定した場合はスクリーンに干渉縞が現れ(正確には位置測定器列のどれかで観測され、数多く観測すれば、強弱が顕著になる)
>測定しない場合干渉縞が現れない。

逆でした。
この条件で偏光測定器で測定した場合はスクリーンに干渉縞が現れず
測定しない場合干渉縞が現れる。(正確には位置測定器列のどれかで観測され、数多く観測すれば、強弱が顕著になる)
Posted by 全充 at 2007年07月17日 12:42
神はサイコロを振らないかもしれませんが、カケゴトはお好きなようですよ。

管理人さんも、宝くじ買う時神頼みするでしょ?
Posted by 匿名希望 at 2007年07月18日 00:05
干渉縞が出たり出なかったりする事象をもう少し説明しよう。

上で示した実験の趣旨は
量子がスリットのどちらを通ったか決められる場合は干渉縞ができないということの実験である。

スリットに向かう量子もスリットもスクリーンも何も変えていないのにである。

スリットに向かった量子の偏光が垂直であると判れば(水平であれば下記は逆で考えればよい)
スクリーンで観測した光子の円偏光が左回であれば左のスリット、右回であれば右のスリットを通ったことが判る。そうすると干渉縞ができない。

そしてそれをエンタングルメントを使うことで、スクリーンに向かう光子の垂直/水平偏光の不定/確定をコントロールしている。
確定の時は干渉縞ができない。
不定(偏光測定器を置かない)の時は干渉縞ができる。

エンタングルメントにある片方の光子を偏光測定器で観測する、しないで干渉縞の有無が決まる。

ということです。
Posted by 全充 at 2007年07月22日 08:20
> 量子がスリットのどちらを通ったか決められる場合は干渉縞ができないということの実験である。

 だったら、超球理論では、当然のことです。すでに書いてあります。読めばわかるとおり。

 簡単に言えば、「決められる場合には」という発想を捨てて、「決まっている場合には」というふうに考えます。
 すでに説明済みのことなので、これ以上はここでは解説しません。該当箇所を読んでください。(どこに書いたかは忘れたが。「決定」という語で検索するとわかるはず。)

 とにかく、すでに説明済みのことは、書きません。「どこに書いてあるか」という質問もしないで下さい。そんなことまでいちいち面倒見切れません。家庭教師じゃないので。
Posted by 管理人 at 2007年07月22日 09:38
>簡単に言えば、「決められる場合には」という発想を捨てて、「決まっている場合には」というふうに考えます。

この考えは間違ってはいないのですが。

和文の「決定」に該当する「determin」でも引いてみましたが、当該箇所からは管理人さんの見解が判断できません。

論文の推薦はいらないのですか?

ファインマンダイアグラムというのがありますよね。同じように図で説明するということも手ではあるのですが。
Posted by 全充 at 2007年07月22日 10:15
「シュレーディンガーの猫」のページから、全部読んでみてください。「観測の問題」その他、あちこちに記述してあります。

観測問題は、応用的な話なので、超球理論のページには書いてありません。
Posted by 管理人 at 2007年07月22日 10:52
細々とした周辺的な問題
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/trivial.htm
このあたりも読みました。
超球の振る舞いを明確にしたいですね。
超球の複素回転を偏光と関係付けても見ましたがしっくりした説明が思いつきませんでした。


蛇足ですが、私も量子コンピュータについてはブログで少し書いています。
http://nouryoku.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_7969.html
Posted by 全充 at 2007年07月22日 11:22
超球について根本的に誤解しているのが理由です。

超球は観測されません。観測されたものは粒子(ここでは光子)です。

光子について右回りや左回りを考えることはできますが、それは超球が実在粒子である光子に転換したあとのことです。

   粒子 → (超球) → 粒子

 という転換があります。観測されるのは、超球ではなく、粒子だけです。いったん粒子になれば、干渉縞ができないのは、当然です。
Posted by 管理人 at 2007年07月22日 12:14
>超球は観測されません。観測されたものは粒子(ここでは光子)です。

なるほど。
もう少しじっくり考えて見ますわ。

現時点では
量子の波動性は確率波で狭義で実在波ではない
というのが私の見解です。(たぶんコペンハーゲン解釈も多世界解釈も経路積分もこのあたりは同じだと思っています)
従って「超球理論」で干渉縞の波動性を超球の波に対応されているのが私自身租借できていません。
波動性に超球が必然であるためには干渉縞を超球で説明したいのですが。
干渉縞は観測の結果知覚できるものなのですが、確率波であればとりあえず説明できているのですよ(粒子と波を両立させて)
Posted by 全充 at 2007年07月22日 12:44
確率波の概念がないと量子コンピュータは説明しづらいです。
それは多世界解釈でもいいのですが。
Posted by 全充 at 2007年07月22日 12:46
2重スリットの通過スリット決定有無
経路積分と同じと理解しました。
ファインマンダイアグラムではないですが、経路積分と同じ図でOKのようですね。

通過スリット決定の場合(スリットA、Bとして)
レーザ射出点−スリット(AorB)−スクリーン

通過スリット不明の場合
レーザ射出点−(全ての可能経路)−スクリーン

確率波も経路積分も多世界解釈も超球も
大雑把にはexp(iθ)の解釈の違い
という整理でいいですかね。
非相対論的量子力学の範囲で
Posted by 全充 at 2007年07月23日 12:04
訂正
>通過スリット決定の場合(スリットA、Bとして)
>レーザ射出点−スリット(AorB)−スクリーン

レーザ射出点−(全経路)−スリット(AorB)−(全経路)−スクリーン
Posted by 全充 at 2007年07月23日 12:06
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