2007年02月18日

◆「字形の変更」の意味

  【 重要 】

 MSの新フォントでは、「字形の変更」があった。つまり、正字から略字へと、字形が変更された。(その数は、122字と言われるが、実際にはもっと多くになる。)
 ここで、「字形の変更なんかがあると困る」という見解が、印刷業界などから出てきた。特に、人名を表示する際に、字体の差がわからないのは困る、というわけだ。

 ここで、「字形の変更とは何か?」を論じよう。「字形の変更」の意味を示す。 ──

 (1) 基本
 基本としては、国語審議会の方針がある。それ読むのが手っ取り早い。
 その核心は、「パソコンの文字は、日本語を表現するためにある」ということだ。印刷業界では、「人名を指定するのに不便だ」というような声があるが、パソコンの文字は、人名を指定するためにあるのではなく、日本語を表現するためにある。この基本を理解してほしい。
( ※ 人名を指定するのは、字形を表現することでなされる。だが、文字の字形を伝達するのは、文字コードの本来の用途ではない。文字コードの本来の用途は、字形を伝達するのとは逆に、さまざまな書体差を吸収することだからだ。)

 (2) 標準への統一
 国語審議会の方針の意味は、「標準への統一」である。これは、「パソコンの字体が変わる」という意味ではない。「パソコンの字体が社会の字体に合わせる」という意味だ。
 図示して説明しよう。

 《 誤解 》
     正字
      ↓
     略字
      ↓
     正字 


 ここでは、正字であったものが略字になり、その後、略字であったものが正字になる。これが本当であれば、こういうふうにコロコロと変わるのは好ましくない。しかし、そんなことはない。なぜなら、上記の図は、パソコンだけの認識だからだ。それは視野の狭い認識にすぎない。正しくは、次の通り。

 《 正解 》
     正字           (社会もPCも正字)
      ↓
      ├───┐
     正字   略字     (社会は正字、PCは略字)
      ├───┘
      ↓
     正字           (正字もPCも正字)


 ここでは、社会全体を見る。すると、最初は正字に統一され、次に正字と略字の混在があり、そのあとで正字に統一された、というふうになる。
 つまり、「略字か正字か」ではなく、「混在か統一か」という問題なのだ。パソコンだけでなく一国全体を見れば、そうわかる。これは、視野の広い認識だ。
( ※ パソコンだけを見ていて、本を読まない人は、社会では正字が主流だということがわからないようだ。誤解しやすいので、注意すること。文字コードというのは、コンピュータのオタクのためにあるのではなく、コンピュータのことなんかあまり知らない大多数のユーザーのためにある。その根源的な点を理解しない人が多いので、注意。)

 (3) 字形の変更の利点
 字形の変更では、字体が勝手に変えられたわけではない。一点しんにょうの「辻」さんならば、「字体が勝手に変えられた」と怒るだろうが、二点しんにょうの「辻」さんならば、「字体がうまく修正された」と喜ぶだろう。
 そして、人名以外のほとんどの文字では、二点しんにょうの「辻」さんと同様になる。たとえば、「辻褄」や「辻斬り」という日本語表現を書くときには、二点しんにょうになる方が好ましいのだから、従来の文書で入力した「辻褄」や「辻斬り」という単語が、自動的に二点しんにょうの字体に変えられるのは、とても好ましいことなのだ。
 仮に、そうしなかったら、どうなるか? 「字形の変更」のかわりに、「正字の追加」があったなら、どうなるか? その場合、従来の文書の「辻褄」や「辻斬り」という単語は、「一点しんにょう」に固定されてしまう。それを「二点しんにょう」に直すには、従来の莫大な文書において、「略字を正字に置換する」という、膨大な手間がかかる。
 しかも、その置換は、実質的には実行不可能だ。すべて漏れなくやるなんて、不可能に決まっている。とすれば、「字形の変更」のかわりに、「正字の追加」をするというのは、とんでもない愚作なのである。
 逆に言えば、「字形の変更」には、(フォントを変えるだけで)「すべての文書で自動的に正字に修正される」というメリットがあるのだ。

 (4) 正字の文字消失
 「正字の追加」をするというのは、さらには、とんでもないトラブルを引き起こす。このことは、先に「文字使用の指針1」で示したとおり。
  ・ 「字形の変更」をした 122字は、何のトラブルもなく、正字を使用できる。
  ・ 「正字の追加」をした新規の正字は、文字消失・文字化けの危険が高い。
 後者の「文字消失・文字化け」が問題だ。次の正字が該当する。(上記文書を参照。)

    逸謁縁黄温禍悔海慨概喝渇褐漢器既祈虚響勤謹薫
    掲撃研穀殺祉視煮社者臭祝暑渚署渉状節祖僧層巣
    憎贈即琢嘆猪著徴懲塚禎突難梅繁晩卑碑賓頻敏瓶
    侮併塀勉歩墨毎免戻祐欄隆虜涙類暦歴練錬廊録

 これら91字に対応する正字は、文字消失または文字化けの危険が非常に高い。Vista という特定の環境で特定の用法をした場合に使えるだけで、それ以外の環境では使えないことが多い。(テキストファイルやテキストメールでは全滅だ。ケータイでも全滅だ。HTML のホームページでも、かなり制限される。)
 ここでは、91字が使えないことになっている。一方、「字形の変更」ではなく「正字の追加」を実施した場合には、122字についても、その正字は文字消失・文字化けを起こす。結局、正字は使えないままとなる。略字ばかりが生き残り、正字は使えないままなのだ。そんな規格は、あってもないに等しい。(JIS2000 がそうだった。)

 (5) 字形差の少ない場合
 正字でも字形差の少ない文字もある。168字中、122字以外の文字だ。
 例。「丈」の3画目にあたる「 \ 」の部分の左上にヒゲのようなものが付いて、「 へ 」のような形になっている字形。
 例。「勺」の「丶」が「−」になっている字形。
 例。「冬」のチョンチョンが「ン」になっている字形。
 こういうふうに、字形差の少ない文字について、いちいち「正字の追加」をして、別の文字にしていくと、大変なことになる。上記の (4) の問題が起こるからだ。
 それよりは、たいして差がないのだから、従来の文字コードのまま、字形をちょっと変えるだけにする方が楽である。上記の三例では、いちいち別字にして区別するよりは、デザイン差のように見なして、同じ文字として扱う方がいいだろう。細かな違いはフォントの差で対応することにして、あくまで同じ文字と見なす方がいいだろう。
 とにかく、「字形の変更」によって、標準の字形を変えるだけにするのが一番賢明だ。いちいち別の文字を追加して、そっくりの文字を二重に流通させるのは、いたずらに混乱を招く。(特に、一方が誤字のような略字である場合には、残さない方がよい。)

 (6) 文字情報は消えない
 「字形の変更」では、JIS90の略字も、JIS2004の正字も、区別されない。字体の差は表現できない。だが、文字そのものは表現できる。「辻」が一点しんにょうか二点しんにょうか
は区別できないが、その文字が「つじ」と呼ばれる特定の文字であることは表現される。この点では、文字情報は失われない。
 一方、「正字の追加」をした場合には、「文字消失」によって、文字情報そのものが消えてしまう。たとえば、Vista で「祈」の正字を入力して、他の環境で見ると、その文字がまるまる空白( )または点(・)になってしまう。
 その意味で、「字形の変更」は、取りうる選択肢のなかでは、最善の選択肢であるのだ。なお、選択肢を示すと、次の三つ。
  ・ 略字のまま (日本語として正字を表現することが不可能)
  ・ 正字の追加 (文字消失が起こる)
  ・ 字形の変更 (字体化けが起こる)

 このうち、二番目よりは三番目の方がいい。そのことは、すぐ前に示したとおり。
 また、一番目よりも、三番目の方がいい。一番目は、文字化けも字体化けも起こらないが、それは、正字そのものがないからだ。比喩的に言えば、「病気をなくすには、死んでしまえばいい」ということだ。なるほど、死んでしまえば、もはやどんな病気にもならない。が、だからといって、存在そのものを否定するのは、最悪だろう。
 日本語の文字規格では、正字を使えることが是非とも必要だ。その際、「正字の追加」と「字形の変更」との、二つの選択肢が残る。どちらも難点があるが、どちらか一方をといえば、「字形の変更」の方が難点は少ない。だからこそ、その難点を受け入れるべきなのだ。

 「字形の変更をすると難点があるのに、そんなこともわからないのか」と素人は批判する。それは勘違いだ。難点を理解していないわけではない。難点を理解しながらも、それが許容範囲だと考えて、それを受け入れるわけだ。
 比喩的に言えば、女房を選ぶとき、欠点を理解していないわけではない。欠点はある。しかし、欠点があっても、受け入れ可能であれば、その欠点を受け入れるのだ。それが結婚というものだ。
 欠点のある女性なんか受け入れない、と主張していると、どんな女性とも結婚できなくなる。それでは本末転倒だろう。結婚(= 正字を使う)という最終目的をわきまえた上で、欠点が最小であるものを受け入れるしかない。そして、それが、「字形の変更」なのだ。
 「字形の変更」は、「デメリットがゼロ」というわけではなく、「最大のメリットと最小のデメリット」という判断から選択されたものだ。デメリットを無視しているわけではない。
 「字形の変更なんかするな。略字のままでいい」という主張は、メリットを理解できない。
 「正字の追加の方がいい」という主張は、自己のデメリットを理解できない。他人の欠点は見えても、自分の欠点が見えていない。

 ──

  【 追記 】

 余談だが、前出の文字使用の指針1によると、次の 26字 + 7字のうちの大部分は、正字をパソコンで出せないらしい。
   喝嫌溝遮逝栓濯棚扉癒慧渚梢翠那遼皓翔迪
   昂 采曙柊耀蓮媛
   {曾} (欝) 凋 [菟] 塘 兔 [寃]


 1,2行目の 26字は、人名漢字である。後者は、第一水準の漢字だ。もちろん、さして難解な文字ではない。なのにパソコン上(≒ JIS ≒ Windows )では、略字はあっても、正字はないらしい。
 しかし、正字を出せないというのは、日本語の表現としては、はなはだ困ったことになる。現在のパソコンは、日本語をまともに表現する能力がないのだ。たとえば、「辻」や「迂」は正字で書けても、「逝」は正字で書けないわけだ。ひどい文字規格。逝ってよし、と書きたいところだが、まともに書けない。

 では、どうすればいいか? 次のいずれかしかない。
 (1) Windows をやめて、Mac を使う。(Mac ならば使える。)
 (2) Windows では、いちいち外字を作成するか、画像を使う。
 この二つを比較すれば、Mac に比べて、Windows は原始人の状態である。Windows は、Vista において、映像などの能力はどんどん向上している。だが、肝心の日本語を表現する能力が、かなり欠落しているのだ。まことに困ったことだ。
(これじゃ、「バカ」と呼んでもいいだろう。……もっとも、本人は、自分がバカだとは気づいていないでしょうけどね。文盲である人間は、自分が文盲であることに気づかないものだ。)
(なお、Mac が利口だ、ということではない。Mac は文字コードの規格とは別に、独自の方式で正字を使っているだけだ。それでは他者と情報交換することができない。……要するに、これは日本人全体の問題だ。自国の文字を表現する文字コードをもたないという、日本人全体がバカなのである。「おまえの国のパソコンは、自国の言語の文字をろくに表現できないのか。ケラケラ」と笑われても仕方ない。馬鹿丸出し。電子的に文盲の国民。)
(どうしてこうなったか? 人名を表現することばかりにこだわったからだ。小学一年生と同じで、自分の名前を書くことばかりにこだわる。「文字の目的は自分の名前を表現することだ」と思い込んでいる。そのせいで日本語能力が身につかない。文盲ふう。)

 ──────────────

 《 参考情報 》
 「字形の変更」についての他の説明文書。(いずれも南堂)

 2004 JIS をめぐる混乱
http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/75_moji.htm

 「略字 侃侃諤諤」
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/moji/codeknkn.htm

 「国語審議会の 表外漢字 試案」
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/moji/codekoku.htm#genjis

 特に本サイトで言うなら、次の箇所。
http://openblog.meblog.biz/article/1535.html
posted by 管理人 at 20:36| Comment(1) |  文字規格 | 更新情報をチェックする
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【 追記 】を加筆しました。タイムスタンプは下記。↓
Posted by 管理人 at 2007年02月19日 01:19
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