【 重要 】
字形の変更のあと、略字と正字が混在している。この状態で、われわれがなすべきことは、何か?
最終的な結論は、ポイントだけ記す形で、別文書に記してある。その文書についての細かな解説などを、以下で記す。
※ なお、前々項から本項までの話のまとめは、次項で記す。
そちらには実際的に役立つ情報がある。 ──
( ※ 本項は、話の順序の都合で上記の日付になっているが、
実際にこのブログで公開したのは 2007-02-20 である。)
字形の変更のあと、略字と正字が混在している。(MS明朝・MSゴシックなどのフォントには、略字のフォントと正字のフォントが混在している。)
この状態は、字体が不統一な状態である。では、われわれがなすべきことは、何か? 企業において字体を統一するように、フォントやシステムを更新するべきだろうか? それとも、何らかのソフトで対処するべきだろうか?
この問題については、前項 で一応ながら、解答を与えた。ただし、基本的な背景などを説明するのに分量を費やしたので、「何をなすべきか」ということが少々、漠然としてしまった嫌いがある。
そこで、本項では結論として、「何をなすべきか」ということを説明する。
なすべきことは、正しい認識をすることだ。その認識とは、こうだ。
「 字形を変更された 122字については、これらの略字と正字は、パソコンでは同じ文字だと見なされる」
この結論は、読者の便宜を考えて、独立した別文書にした。次の別文書を開いてほしい。
→ 別文書
なお、この別文書は、結論だけである。何度も読むのには適しているが、細かな解説は書いていない。そこで、解説を、本項に記す。以下の通り。
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(A) 結論
結論は、別文書に記した通りである。その要旨は、
「包摂の概念を理解するべし」
ということだ。換言すれば、
「略字と正字は、パソコンでは同一の文字として扱われる(同一のコードポイントにある)。双方の字体は、たがいに区別されない。そのことを理解するべし」
その核心は、次のことだ。
略字と正字が混在している状況は、ソフトやシステムなどのために金を払って解決するべき問題ではない。一人一人の社員が正しい漢字認識をすることで解決する問題だ。金で解決する問題ではなく、知恵で解決するべき問題だ。
社員が知恵で解決するべき問題を、金を払って解決しよう、というのは、根源的に狂っている。そんなことをやると、状況を改善するどころか、かえって状況を悪化させる。
( → 前項 の「バカ息子」の比喩を参照。)
結局、人間の正しい認識こそ大切だ。
( ※ 以上が、別文書の要約。)
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(B) 理由
結論を述べたあとで、理由を説明しよう。
上記の結論では、「それぞれの略字と正字がパソコン上では区別されない」ということを理解するべきだ、と示す。
その意味は、パソコンでは略字と正字が混在しているというのが否定できない現実だ、ということだ。
比喩的に言えば、世の中には男と女とが混在しているというのが否定できない現実だ。こういう事実があれば、こういう事実を認識することが大切だ。一方、逆の主張も考えられる。「双方が混在すると不便だから、どちらか一方に統一しよう。社員は男か女か、一方だけに限ろう。そうすれば、統一が進んで、社内の能率が向上する」というふうに。
しかし、「社員は男か女か、一方だけに限ろう」という発想は、正しくない。なぜか? たとえ社内では統一できても、社外までは統一されないからだ。「自社は男ばかりだから、社外の人間も男とだけ付き合え」というような具合には行かない。(イスラム教だってそれほどひどくはあるまい。)
比喩をはずして、文字に戻ろう。
「双方が混在すると不便だから、どちらか一方に統一しよう。字体は略字か正字か、一方だけに限ろう。(MSのフォントは、略字フォントか正字フォントか、一方だけに限ろう。)そうすれば、統一が進んで、社内の能率が向上する」
という主張が考えられる。しかし、「字体は略字か正字か、一方だけに限ろう」という発想は、正しくない。なぜか? たとえ社内では統一できても、社外までは統一されないからだ。「自社は略字ばかりだから、社外の字体も略字だけに限ろう。略字を使う相手とだけ情報交換しよう」というような具合には行かない。たとえ自社が略字に統一しても、社外からは正字のデータが入ってくる。また、たとえ自社が正字に統一しても、社外からは略字のデータが入ってくる。つまり、不統一の状況は、避けがたい。不統一を解決することは、根源的に不可能だ。
もう少し説明しよう。
「字体は略字か正字か、一方だけに限ります」というシステムを売りつけようとする会社もある。しかし、それで統一できるのは、「将来の」&「社内の」文書だけである。過去の文書は統一できないし、社外の文書も統一できない。
(1) 正字への統一
正字への統一はどうか?
たとえ将来の分を正字に統一するとしても、過去の文書にある略字は必ずしも統一されない。過去の文書がテキストファイルならば大丈夫だが、MS以外のフォントを使った文書ではダメだ。ワープロの使用フォントは略字フォントのままだし、PDFのフォントも略字フォントのままだ。これらを修正することは、非常に困難だ。さらには、画像で記した略字は、修正不能に近い。そんなものまでいちいち修正するとしたら、無駄な後ろ向きの作業に手間をかけることになる。業務の停滞を招く。
ついでに言えば、過去の文書のうち、社外から受け取った PDF の文書については、勝手にフォントを正字に書き換えることは、著作権法違反(著作人格権の侵害)である。個人が私的に書き換える分には構わないが、会社が業務として他人の文書を書き換えることは、私的利用の範囲を超えており、著作権者の許可を要する。許可なしにやれば、犯罪だ。合法的にやるとしたら、著作権者の許可を得なくてはならないが、そんなことをいちいち大量にやっていたら、仕事になるまい。業務が停滞する。
( ※ なお、社外との問題はあまり生じない。)
(2) 略字への統一
略字への統一はどうか? これなら、上記の問題はないが、別にもっと大きな問題が生じる。
今後は略字のフォントに統一するとしたら、社会との互換性が取れなくなる。社会では正字フォントを使っているのに、自社のホームページで略字に指定したフォントに限定して使ったら、一般の顧客が大迷惑だ。売上げ激減である。また、取引先との間で文書を交換するときにも、自社だけが略字を使うとしたら、やはり顧客に迷惑がられて、業務が停滞する。
( ※ なお、社内での問題はあまり生じない。とはいえ、それは電子データだけの話だ。社外に外注した活字印刷物は、正字になる。また、社外に発注した新聞広告やテレビ広告も正字になる。広告の電子データは略字でも、完成した広告は正字になるので、メチャクチャなことになる。例。「葛飾区営業所」「長瀞下り」「煎茶」「味噌」が社内でも二種類の字体で表示される。)
結論。
正字への統一にせよ、略字への統一にせよ、どちらも実質的に不可能である。「将来の」&「自社の」文書は統一できるが、それ以外の文書は統一できない。
特に、社外からは、略字と正字の双方の文書が大量に流れ込んでくるのだ。これでは、いくら自社内で統一しても、底抜けである。
というわけで、正字であれ略字であれ、とにかく「統一する」という発想そのものが根源的に無理なのだ。
さて。
では、なぜ、「統一」は不可能なのか? それは、文字コードの規格がもともと、統一されていないからだ。文字コードでは、同一のコードポイントで、略字と正字とが混在している。(これを包摂という。)とすれば、こういう現実を、あるがままに認識すればいい。規格がもともとそうなっているのだから、規格をあるがままに認識すればいいのだ。
「どちらかに統一する」というのは、規格には反することだ。規格に反することをやれば、おかしなことになるのは当然だ。
ここでは、「同一のコードポイントで、略字と正字とが混在している」という事実を認識することが大事だ。そして、そのことが、上記の結論なのである。
──
[ 付記 ]
(2) について、補足的な説明を加えておこう。細かい話だが。
統一ができないことには、別の理由がある。それは、「旧フォント = 略字」ということが、必ずしも成立しないからだ。つまり、「旧フォント = 正字」ということが成立することもあるからだ。
これはどういうことかというと、「フォントごとに字体のバラツキがある」ということだ。原則としては、略字用のフォントには略字が搭載され、正字用のフォントには正字が搭載されるはずだ。しかし現実には、チャンポンになっていることがある。そのせいで、あるフォントでは統一しても、別のフォントでは統一からはみでてしまう、ということがある。
たとえば、「筵」(むしろ)という文字は、MSの新旧のフォントでは、字体差がある。「正」に似た部分の左下が、新フォントでは「 L 」のようになり、旧フォントでは「 ⊥ 」のようになる。ここでは、「 ⊥ 」が略字であり、「 L 」が正字であるはずだ。(そう思える。)
しかし、本当にそうか? よく調べると、そうではない。「HG***」という名称のフォントでは、MSの旧フォントと同じ( ⊥ )ようになっているが、「DF***」という名称のフォントでは、MSの旧フォントと異なる( L )ようになっている。つまり、従来の略字フォントであっても、フォントごとに差がある。
では、MSのフォントに従えばいいのか? しかし、よく調べてみよう。JISの規格票では、どのJISでも、この文字は「 L 」になっている。だから、(たとえ JIS83の略字でも)「 L 」が正しい。要するに、MSの旧フォントは、過剰な略字であり、間違ったフォントなのだ。( → 参考サイト )
つまり、MSの略字フォントが間違いで、他社(¶)の略字フォントが正しい。だから、MSの略字フォントに統一する、というのは、妥当でない。(MS以外のたいていのフォントは、JIS の規格票の通りになっている。MSだけが間違っている。)
というわけで、たとえMSの旧フォントを使っていても、それで略字に統一できるということはない。
また、MSの旧フォントというもの自体が、XP 版と Vista 版で、若干の差がある。( → 同じく 参考サイト )だから、このことからしても、MSの旧フォントを使って略字に統一できるということはない。
( ※ なお、正字に統一できないことについては、本文の (1) で述べたとおり。)
──
[ 脚注 ]
¶ 「他社」について。
ここで言う他社の略字フォントとは、「DF平成明朝」などのDF系のほか、「JS明朝」などのジャストシステム系、「学研版イワタ中太教体」、などがある。これらはいずれも該当箇所が、「 L 」になっている(つまり従来のフォントであるにもかかわらず、MSの旧フォントとは異なる)
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余談
話は繰り返しになるが、頭の整理のために、「どうすればいいか?」を再び述べておく。
なすべきことは、 社外や過去の文書で字体を無理に統一することではない。むしろ、略字と正字が混在しているという現実を認識した上で、その現実に対処できるだけの能力を、社員の一人一人がもつようにすることが大事だ。ここでは、人間の能力の向上こそ、なすべきことだ。
その逆は? 「(字体の)混在をなくすことができる」と思い込むことだ。つまり、「(字体の)統一が可能だ」と思い込むことだ。たとえば、正字に統一するとか、略字に統一するとか。── しかしながら、こういうことは、嘘である。なのに、この嘘を吹聴する会社があるし、この嘘を信じる人々もいる。注意しよう。
一部のソフト会社は、「社内の字体を統一します」と称して、高額のサービスを売りつけようとする。そんなのは、詐欺と同然である。文字コードに無知な会社を利用して、やらなくてもいいサービスを高額で売りつけるだけだ。
仮に、そんなのを真に受けたら、ものすごい損害が発生しかねない。
(a) 社内を略字に統一する
→ 社内は統一されるが、社外との互換性が取れなくなる。破滅的。
(b) 社内を正字に統一する
→ いちいち教えられなくても、どの社も自力でできる。超簡単。
前者ならば、会社は自己を破滅させるために金を払う。後者ならば、会社は何もしてもらわないのに金を払う。……どっちみち、詐欺に引っかかるようなものだ。
会社がやるべきことは、金を払うことではない。ソフトやシステムをいじればいいのではなく、人間(社員)をいじればいい。すなわち、社員に対して、上記の (1) のことができるように、漢字教育をすればよい。それこそが、なすべきことだ。
社員がパソコンをうまく駆使できるようにするには、どうすればいいか? 「パソコンを上手に利用できるための便利ソフト」なんかを買っても仕方ない。社員の一人一人が十分なIT知識をもてばいいのだ。社員に知識のないまま、ソフトばかり買っても、何の意味もない。
漢字もまた同じ。まともに漢字知識のないまま、漢字のソフトばかりを購入しても、社員の漢字認識は変わらない。「バカは金では治らない」のである。
無駄金を使って会社を破綻させないように、注意しよう。
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ただし、金を払わなければいい、というものでもない。社員に対する漢字教育は必要だ。
実際、略字と正字とは、文字が違うように見えるので、「違う、違う」と騒ぎやすい。大騒ぎする人も多い。しかし、それは間違った対応だ。
パソコンでは略字と正字は区別されないのだから、「どちらも同じ文字だ」と理解することが正しい。こういう理解こそが、何より大切だ。そのために、冒頭の別文書がある。これによって、正しい漢字理解がなされる。
( ※ 要するに、企業は、ソフトを買うかわりに、冒頭の文書を使って、社員教育をすればいいのだ。それだけの話。)
2007年02月09日
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