「これまでは地名などで正字が使えなかったが、Vista 導入以降は正字が使えるようになる。たとえば、飛騨という文字は、『馬単』→『馬單』というふうに正字で表示できるようになる」
しかし、これは最初から最後まで、全部間違っている。 ──
この間違いは、次の二点だ。
(1) これまでは『馬單』という正字が使えなかった。
(2) これからは『馬單』という正字が使えるようになる。
そのどちらも間違いである。
(1) これまでは『馬單』という正字が使えなかった
これまでは『馬單』という正字が使えなかった、ということはない。これまでもずっと使えてきた。その証拠に、次のファイルがある。
→ 変換表
ここにはちゃんと『馬單』という正字が表示されている。Vista でなく WindowsXP でもそうだ。なぜならこれはもともと unicode に含まれていた文字だからだ。Vista は関係ない。
※ ただし、この文字は、使いやすくない。たとえば、このブログのある
「みぶろぐ」や「Seesaa」などのブログでは、表示できない。また、
テキストファイルやHTMLソースでも、容易に表示できない。
※ ただし、goo ブログや Yahoo ブログでは容易に表示できる。たとえば、
上記の「変換表」の文字をコピーして、そのまま記事投稿をすれば、
普通の文字と同様に扱える。(確認済み。)
また、ワードパッドやMSワードでも、普通に使える。
要するに、「使いやすくはないが、うまく工夫すれば何とか使える」というのが正しい。「今まで使えなかった」ということはないのだ。
(2) これからは『馬單』という正字が使えるようになる
これからは『馬單』という正字が使えるようになる、ということはない。上の変換表を見ればわかるとおり、この文字は unicode にもともとあった文字である。したがって、この文字は、「字形の変更」で表示できるようになったわけではない。
たとえば、「葛」という字ならば、「字形の変更」がなされたので、これまでは表示されなかった正字が、これからは表示されるようになる。
しかし、「騨」という文字は、「字形の変更」がなされたわけではないので、これまでもこれからも、ずっと「馬単」という略字が表示される。「馬單」という正字を表示するには、次のようにする。
・ これまでは、unicode で表示するしかなかった。テキストファイルでは不可。
・
※ この記述は間違いなので、次項で解説する。
なお、これから使う場合があるとして、どう使えばいいか? 「馬單」という正字を文字コード表で探すと、(文字が変なところに孤立しているので)見つかりにくい。何らかの漢字検索ツールや、漢字変換ソフトIME を使わないと、容易には表示できないだろう。手っ取り早いのは、新しいワープロソフトを購入して、それについているIMEで漢字変換をすることだ。たとえば新しいATOKで「ひだ」「ひだし」と入力すると、ちゃんと変換されるはず。(とはいえ、それがうまく行く保証はない。最新の MS-IME 2007 ではダメでした。 (^^); )
──
以上からわかるのは、何か? 次のことだ。
(i)「字形の変更」をした文字については、何ら意識することなく、従来通りの方法をやるだけで、自動的に正字を使うことができるようになる。たとえば「葛」という文字も、自動的に正字に変更される。(最初に 2004JIS のフォントを入れれば、あとは何もしなくてい。)
(ii) 「字形の変更」をしない文字については、いくらか面倒な手続きが必要になる。文字を出すには新しいIMEを購入する必要がありそうだし、また、一部のブログなどでは、その文字が表示されずにすっかり消失してしまう。たとえば、本サイトのブログで「飛騨市」を正字で書くと、投稿欄には該当文字が表示されるのだが、アップロードすると「飛市」というふうに該当文字が消えてしまう。
つまり、「字形の変更」をした文字はすべて問題ないのだが、「字形の変更」をしない文字(前項の39字)については普通に使えない。
というわけで、「字形の変更」というのは、非常に便利な方法なのだ。この方法をやったおかげで、特に意識せずに、たいていの文字については正字を使えるようになる。
しかし、一部の文字については、残念ながら、「字形の変更」ができなかった。そのせいで、これらの文字については、面倒な手続きが必要となる。
実例を挙げると、「溢」ならば、「字形の変更」をしたので、容易に正字を使える。しかし、「鴎」や「剥」や「頬」などならば、「字形の変更」をしないので、これらの文字の正字を使うには、何らかの手続きを新たにする必要がある。
──
「字形の変更」って、本当に便利ですね。なのに、「字形の変更なんかダメだ」と、多くの文字コード関係者は言っていたのだ。彼らの都合(規格上の都合 = 文字コード表をきれいにしたいという内部関係者だけの都合)を優先して、国民に多大な負担をかけさせようとしていたのだ。
私としても、「字形の変更」を唱えたおかげで、これからは自分自身が恩恵を受け取れる。私としても、唱えた甲斐はあったことになる。世間からは肯定的に評価されなくても、私自身が便利になったのだから、それで良しとしよう。
( ※ 「おまえの個人的な都合で字形の変更をされてしまった!」と、多くの略字主義者は歯ぎしりをするだろうが。)
本項は前項の続きである。
何が正しいか、ということは前項に記してある。
何が間違っているか、ということは本項に記してある。
正しいこと(40字の例外があること)をわきまえておけば、問題がない。
なのに、それをわきまえないと、例外を例外として理解できなくなる。その誤りが、朝日の記事の誤りだ。ここでは、例外に含まれる「騨」という文字について、例外ではないと思い込んでいる。
標準と例外があるのだ、という区別をつけることが大切だ。──それを示しているのが、前項と本項だ。
文字コードについて遺恨?のある管理人さんと私との認識の相違でしょうか。
「……であれば」ということですが、実際には「……ではない」となります。
この件は、明日、説明します。