2007年01月18日
◆ 掲示板と論争
2ちゃんねるが閉鎖されそうだ、ということがネット上で話題になっている。「あんなものなくなったっていい」という声も多いようだ。ここで、なぜそういう声が出るのかを、考えてみよう。 ──
掲示板(BBS)というのは、それはそれなりに有効である。今話題の「Web 2.0」という言葉を使うなら、「元祖Web 2.0」というものが掲示板だろう。ではなぜ、それが「なくなってもいい」とまで揶揄されるようになったのか?
もちろん、その愚劣な内容が理由だ。ではなぜ、かくも愚劣になったのか?
掲示板が愚劣であることの理由は、書く人の態度が「愚劣なものを書く」という態度になっているからだ。ではなぜ、書く人の態度はそうなっているのか?
それは、掲示板というものの意味を、根本的に誤解しているからだ。
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本サイト(Openブログ)もまた、「掲示板のようなブログです」と書いてあって、掲示板のような役割を果たしている。そこを見ると、どういう難点があるか、よくわかる。たとえば、こうだ。
・ 相手の文章を理解しないで、勝手に誤読して、怒り狂っている。
・ 自分だけは絶対に正しいと信じて、相手の言い分を一切認めない。
これを一言で言えば、「思想におけるオタク」である。コンピュータや萌えキャラのオタクと同様に、特定の思想をオタクふうに信じておいて、自己の信じるもの(萌えキャラや特定思想)だけを絶対視して、それに対する批判を一切拒否する。自分の偏愛するものを批判されると、自分自身を批判されたように感じて、怒り狂う。
それというのも、自分の偏愛するものを盲目的に信じ切っているからだ。それがオタクというものだ。
要するに、2ちゃんねるにあふれるのは「思想オタク」であって、それが、2ちゃんねるに限らず、現在のネット上のあちこちにあふれかえっている。現代のネットというのは、そういう社会なのである。
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ではなぜ、そういう社会になっているかというと、ネット上の社会が「バーチャル社会」であるからだ。愛に対して「バーチャル愛」があるように、社会に対して「バーチャル社会」がある。(バーチャル愛は別項を参照。)
バーチャル社会とは、何か? 生身の相手がいない社会だ。そこでは、どんなに攻撃されても自分の血の一滴を流すこともないし、また、自分が相手の血の一滴を流させることもない。それゆえ、思う存分、攻撃をすることが可能となる。……このことは、バーチャル格闘技やバーチャル殺人と同様である。いくらでも殴り放題で、いくらでも殺し放題だ。そういうのと同様に、いくらでも攻撃が可能となる。
すると、何が起こるか? 何かが増すのではなく、何かが足りなくなる。それは、「相手への思いやり」だ。バーチャル社会では相手が見えない存在であるがゆえに、相手への思いやりが欠落する。
そのことで、相手がどうなるかが問題なのではなく、自分がどうなるかが問題だ。自分自身が醜くなる。自分自身が(他人への)思いやりの欠けた人間となる。
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バーチャル社会では、相手を攻撃することだけが目的となりがちだ。「議論に勝つ」ことや、「自分の言い分を通す」ことだけが、目的となりがちだ。「議論の勝負で勝ちたい」というような、幼稚な要求を通すことが目的となりがちだ。
現実の社会では、どうか? そんなことはしない。「議論の勝負で勝ちたい」というようなことをするのは、弁護士と検察官だろうが、そんなことをやってばかりいると、どこでもつまはじきにされる。
たとえば、企業の会議でも、学校の学級会でも、議論の目的は何か? その組織(ミニ社会)の全体を改善することだ。企業を改善したり、学級を改善したりすることだ。個人の利益が目的ではなく、全体の利益が目的だ。ここで、自分ばかりが議論に勝とうとしてとんがると、みんなからつまはじきにされる。
要するに、一般社会では、議論とは、口論や口喧嘩ではない。では何かと言えば、共同作業の一つなのである。ある個人が論争に勝つことが目的なのではなく、全体の利益のために各人が少しずつ貢献することが目的なのだ。
とすれば、そこでは、他人の意見をつぶすことが大事なのではなく、自分がどれだけ独自の見解を提出できたかが大事なのである。
たとえば、「山に遠足するか、海に遠足するか」というテーマがあったとしよう。思想オタクだと、「山」または「海」のどちらかだけを主張して、たがいに相手を攻撃し合うだろう。で、その論拠といえば、自分勝手な理屈ばかりで、まったく万人を納得させることができない。たいていは揚げ足取りと罵倒の連続となる。
しかしながら、まともな人間ならば、そういうことはしない。「山にはこういうメリットとデメリット、海にはこういうメリットとデメリット」というふうに、具体的な論拠を示すだけだ。最終的な価値判断は全員の決定に任せることにして、自分としては、一つずつ論拠を出す。まだ出ていない論拠を出すことができれば、それなりに貢献したことになる。
一方、既存の論拠を借りて、何度も何度も大声で怒鳴り散らして、相手側の悪口ばかりを言うような人は、みんなから嫌われてしまう。……たいていは、こういう人は排除されるのだが、逆に、こういう人が増えすぎると、良識的な人は逃げ出して、狂人的なオタクばかりが残るようになる。それが2ちゃんねるだ。
悪貨は良貨を駆逐する、という状態だ。
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結論ふうに言おう。
論争というものは、本来、何のためにあったか? 衆知を集めて、みんなで議論して、正解を見出す、ということのためにあった。ところが、視野の狭い人が出ると、全体の利益よりも自分の利益( or 楽しみ)を優先する。他人のことなどどうでも良くて、自分が好きなことを吠えていればいい、と考える。
こういうふうに愚かなことを語るのは、その人の社会性が未成熟であるからだ。頭の構造だけは順調に発育したのだが、頭の社会訓練ができていないので、精神が未成熟になってしまう。
そして、それは、現代では普通のことだ、とも言える。なぜなら、子供たちや若者たちは、ケータイとゲームで自己の狭い世界に閉じこもっているからだ。彼ら自身は「ものすごく広いバーチャル世界を駆けめぐる」と信じているのが、実際には「ものすごく狭いリアル世界(=孤独世界)に閉じこもっている」ということになる。
オタクが危険なのは、萌えキャラのオタクだけではない。掲示板にとらわれている思想オタクも危険だ。そして、その予備軍は、ケータイとゲームにとらわれているオタク予備軍だ。すなわち、現代の若者たちのほとんどすべてだ。
現代という社会では、バーチャル社会はどんどん巨大に構築されていったが、リアル社会はどんどん崩壊しつつあるのだ。
過去ログ
久しぶりです。
実は、昨年12月15日LDファイナンス掲示板が廃止されてから、YahooのLD掲示板に行って、皆さんとの意見交換をするようになりました。とにかく善良の人たちで溢れています。
3月のLD、堀江氏の裁判の判決が出るまでと思って必死に上位にとどめておこうとある人が先導を取り、ある人がどんどん暇な時間を見つけ連投をする。皆さん決して暇な方ばかりではないのですがうまい具合チームワークが整っています。短い内容でもすごく意味のある、、、それぞれから’心’が伝わってくるのです。
時折、嫌がらせの’輩’が入ってくると又上手に交わす人がいるのです。
「いらっしゃいませ、自由の国ライブドアにお越しくださりアリガトウございます」とか「ここは、お子チャマの来るところではないですよ、大人の議論には入らないで早く寝なさ〜い」などと、とても上手なのです。
そんなこんなで、嫌がらせをする人のNNは殆ど無視になってしまい少しづつ返答もしないように成ってきました。
それだけでなく、すごくためになるニュースの貼り付けや、真剣な内容なものが目立っています。
私のような株も持ち合わせていないものが、シャーシャーと一日10〜20くらい投稿をさせてもらっています(投稿ランキング上位に拘っている為)。
微力ながら応援させていただいています。しかし、自分の為でも有り、又日本の為でもあり、犠牲になられた方の為でもありと言い聞かせながらやっています。実際、あれだけやってもきっとあそこどまりで、お上やマスコミなどには届くものではないかもしれません。しかしかなりの人達が覗いていることを知りました。やらないよりはやった方がと思うようになりました。
南堂さんのところで始めて、まともなブロぐを拝読させていただいてからもうすぐ1年の月日がたちます。まるで、あの時は全てにおいてチンプンカンプンでした。色々ご迷惑もおかけしましたが、お陰さまで、自分の意見や考えを述べる場がもてまして、3月までは頑張って投稿をしようと考えております。
「閉鎖されそう」という記事が出たあとで、「実際には閉鎖されまい」という見通しの記事がネット上に多く出ている。2ちゃんねるのドメインの所有者ないし管理者が、個人ではなくて、外国の会社であるため、日本の司法権が及ばない、ということらしい。実際、その後、2ちゃんねるが閉鎖されたという報道もない。
これをもって「2ちゃんねるは安泰だ」という声が多く出ている。しかし私は、この見解を否定しておこう。
なるほど、「閉鎖する」ということであれば、上記の理由で無理であると思う。
しかしながら、「国内で接続できないようにする」ということであれば、可能である。「本当かね?」と疑う人もいるだろうが、実は実現済みだ。ロナウド選手の元妻の個人画像が youtube で流布したところ、元妻の訴えで、ブラジルでは youtube 全体が接続不能状態になった。
つまり、少なくともブラジルでは、「接続禁止」という状態を(裁判所の命令だけで)簡単に作り出せる。日本だって、同様だろう。(日本のネット技術がブラジルよりも劣っていなければ。)
というわけで、「閉鎖」は無理でも、「接続禁止」ならば、技術的に容易にできる。あとは法的な根拠づけだけだろう。裁判所を愚弄するようなことをやっていれば、そのうち「接続禁止」になりそうだ。(個人宛に何かを要求するのではなくて、2ちゃんねる宛に何かを要求する、という形でなら可能だろう。)
ただし、「接続禁止」をするならば、そのことを裁判所に要求しないとダメだ。「ドメインの接収」みたいな形では、無理でしょうね。
それにしても、以上のことは、簡単にわかる。なのに、「2ちゃんねるは安泰だ」とか言っている連中は、ブラジルでどういうことが起こったかも知らないのだろうか?