→ http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D0%A1%BC%A5%C1%A5%E3%A5%EB ──
その他、私自身も過去に書いたことがある。
→ 11月15日b
Wikipedia にも、関連記事がある。
→ 仮想現実
訳語としては、「仮想現実」よりは「感覚現実」や「実感現実」の方がいいかもしれない。「バーチャル愛」は「感覚されるだけの愛」で、「バーチャル社会」は「実感されるだけの社会」。
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【 追記 】
Wikipedia には、次の記述がある。
Virtualとは「実質的な」という意味であり、バーチャルリアリティという語には「現実世界の実質的で本質的な部分をユーザに提示する技術」という意味がこめられている。そのような意味で仮想現実という訳は本来不適切といえる。しかしながら、このように「英語/日本語」という比較で対比するのは、あまり妥当でないようだ。というのは、英語においても「実質的で本質的」という意味よりは、「仮想的」というニュアンスが強くなってきているからだ。
( Virtual 単独でなく、Virtual Reality というフレーズでは。)
この件をよく理解するには、歴史的な経緯を考えるといい。
> 「現実世界の実質的で本質的な部分をユーザに提示する技術」
> という意味がこめられている。
というふうに上記記述にあるが、実は、この意味は、実現した意味というよりは、願望としての意味なのである。つまり、「そういうものであってほしい」というIT技術者の願望なのだ。
たとえば、「人工知能」というものは、決して人間の知能のようなものではありえないが、「人間の知能のようなものであってほしい」という願望(開発目標)としてこの言葉が用いられた。
同様に、バーチャルリアリティという語も、「現実世界の実質的で本質的な部分をユーザに提示する」というよりは、「現実世界の実質的で本質的な部分をユーザに提示したい」という意味で、この言葉が用いられた。
だが、そう「したい」からといって、そう「する」ことができるとは限らない。現実そっくりのものにしたいと狙っても、実際には現実とはまったく異なっている。目標と達成とが大きく異なっている。
要するに、バーチャルリアリティという語は、本来は技術開発目標としての意味で使われた言葉なのだが、いつのまにか製品にもそういう言葉が使われて、すると、目標と達成との食い違いが大きく現れたので、「一致」よりも「違い」が目立つようになる。いくら口先では「一致」といっても、現実には「違い」がある。……そこで、バーチャルという語も、「一致」よりも「違い」のニュアンスで理解されるようになってしまったわけだ。
そして、この違いは、英語と日本語の違いというよりは、目標と達成の違いなのである。
たとえ話を示す。
野球の天才になりたい、と思った人がいる。彼は「おれは松井そっくりになりたい。だから『第二の松井』と読んでくれ」と言う。ここで、「第二の」という言葉は、彼の狙いでは、「同等」という意味でありたかったのだが、実際の彼はまったく松井とは似ても似つかぬ下手くそなので、「第二の」という言葉は「全然違う」というニュアンスで理解されるようになった。
ここでは、「第二の」という言葉のかわりに、「セカンド」を使っても同様だ。「セカンド松井」という言葉を使って、「セカンド」の意味がどう理解されるか。……それは、英語と日本語の違いではなくて、目標と達成との違いなのである。
英語のvirtualの語源や、ヨーロッパにおける実体はなくてもこれが真実である、という発想の厚みのほうに着目したほうが利益が大きいと考えます。