2007年01月15日

◆ 朝日の略字2

 前項の補足。朝日の略字についての記事について。 ──

 本日から当社の字体が変わります、という意味の説明記事(全面記事)が長々と出ている。(朝日・朝刊・特集面 2007-01-15 )
 特に見るべき内容があるわけではない。当り前のことが書いてあるだけだ。論評も、前項の話で言い尽くされている、と言える。
 ただ、補足的な話を二つ。

 (1)
 これだけ長い紙面を与えられながら、字体変更の理由については、やはり明確に示していない。「国語審議会の方針で」と書いてあるだけだ。しかし、国語審議会の方針なら、7年ぐらい前なのだから、これでは変更の理由にならない。
 要するに、「変更した」ことの理由は書いてあるが、「なぜ今になって変更したか」という理由、つまり、「7年間変更しなかったこと」への理由は、書いていない。ほおかむりだ。
 もちろん、本当の理由は「マイクロソフトがやるからそれに合わせます」ということだ。ただし、それを隠している。
 で、今になって、「世間の字体を統一することが大事」などと言い始めている。しかし、「世間の字体を統一することが大事」というのは、私や国語審議会は述べていたのに、朝日はこの七年間、ずっとそれを否定してきたのである。(ま、JISも長らく朝日と同じく否定し続けてきたのだから、朝日だけに責任があるわけではないが。)
 ともかく、自分が間違ってきたことをやったのなら、その間違いを認めるのが先決だろう。「世間の字体を統一することなんかどうでもいい。略字の方が、字画が少ないから、わかりやすいのだ」というような屁理屈を、これまでずっと続けていた。(この屁理屈が正しいのなら簡体字や速記文字の方がわかりやすいことになる。)
 こういう屁理屈を続けた自分を反省して、「過去の方針の誤りを認めます」というふうに頭を下げるのが当然だ。つまり、「過去の方針は間違っていたが、その間違いに気づいたので、方針を変更します」というふうに正直に述べるべきだ。なのに、過去の誤りを認めない。「自分はずっと正しいことを主張してきたのです」という顔をしている。そのせいで、「世間の字体を統一することが大事」という反対者の説を、あたかも自説のごとく主張する。無節操も甚だしい。帰納は黒と言い、今日は白と言う。それでいて、「私はずっと白と言っていました」という顔をする。けろりと嘘を言う。
 自己正当化をすることばかりにとらわれていて、自己の誤りを認めない新聞社なんて、まったく信用ができない。消費期限切れの牛乳でシュークリームを作ったことを隠した不二家と同じである。隠蔽体質。嘘つき体質。取りつくろい体質。

 (2)
 字体を治したと思ったら、今度は変なルビを振り始める。たとえば、これまでは「胡錦濤」を「胡錦涛」というふうに略字で書いていた。
 このたび、それをやめて、「胡錦濤」と書くようにしたが、ついでに、変なルビを振っている。「こ きんとう」とルビを振るのが正解なのに、「フーチンタオ」とルビを振っている。これは不適当だ。なぜか? 
 「胡錦濤」は、日本語では「こきんとう」と読む。似た例では、「周恩来」は「しゅうおんらい」である。「中国」は「ちゅうごく」である。「中華人民共和国」も「ちゅうかじんみんきょうわこく」である。
 一方、中国語では、「胡錦濤」は、(不正確な発音表記ではあるが)「フーチンタオ」と読む。
 とすれば、「胡錦濤」に「フーチンタオ」とルビを振ることは、「日本人読者は中国語読みせよ」という方針である。つまり「中国語を話せ」ということだ。これは不適当だ。日本人が中国語を話す必要はない。
 どうしても「フーチンタオ」と読ませたいのであれば、最初から「フーチンタオ」というカタカナ表記をすればいい。また、漢字表記をするのであれば、「胡錦濤」と書いて「こきんとう」とルビを振ればよい。(またはルビを振らなければいい。)
 しかるに、「胡錦濤」に「フーチンタオ」とルビを振ることは、「日本人読者は中国語読みせよ」という方針である。これは妥当ではない。
 ついでに言えば、巨人の李選手を漢字で表記して「イ・スンヨプ」と記すのも妥当ではない。漢字ならば漢字の日本語読みにするべきだし、韓国語ならばカタカナ語表記だけにするべきだ。漢字を韓国語読みすることを日本人読者に強要するべきではない。ここは日本なのだから。
 
 どうしても中国語や韓国語の表記を取りたいのであれば、個人名だけでなく事件のすべてについて(つまり固有名詞だけでなく一般名詞のすべてについて)言語で書けばいい。中国の記事は、中国語の文字(簡体字)と発音で記すべきだ。韓国の記事は、韓国語の文字(ハングル)と発音で記すべきだ。それなら、筋は通る。たとえば、「万里の長城」も「孔子」も「論語」も、みんな中国語読みすればいいのだ。
 それができないのであれば、変なところだけ変なルビを振るのはやめてもらいたいものだ。人名についてだけ中国語や韓国語の表記を取るというのは、馬鹿げている。

 ──

 朝日は、字体について不統一をなくしたと思ったら、別のところで不統一を生じさせた。一つ利口になると、一つ馬鹿になる。……成長がないと言うべきか。馬鹿は死ななきゃ直らないと言うべきか。帳尻が取れていると言うんでしょうかねえ。
posted by 管理人 at 20:26| Comment(18) |  文字規格 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
人の名前などは本人が読んで欲しいように読むのが礼儀というか親切というものだと思いますが、たしかに韓国人は韓国人の名を韓国読みで読むことを求めます。中国人はそんなことは言いません。国内でも地域によって読み方が違うからです。字が合っていればいいというのが漢字文明というものであり、表音文字を持つ日本や韓国ではそのまま同じようにはいかないでしょう。

ところで昨年のバレーボールの中継ではアナウンサーが外国人の名前をことごとく姓→名順に読んでいました。ここは日本なのだから姓→名順に読むのが正しいのだということでしょうか。中国が外国でも姓→名順読みを求めるのは、良いかどうかは別にして理解はできます。国内の一部地域の発音をアルファベット表記した上に姓名順も変えてしまうと本来の名前の意味から離れすぎてしまう気がするのでしょう。しかし表音文字を持つ日本がなぜそれに習う必要があるのか。求められてもいない余計な気遣いをするくせに夜郎自大。
Posted by tubird at 2007年01月16日 11:19
>中国人はそんなことは言いません。
それは確かだが、その理由として↓は的外れ。
>国内でも地域によって読み方が違うからです。

>字が合っていればいいというのが漢字文明というものであり、表音文字を持つ日本や韓国ではそのまま同じようにはいかないでしょう。
中国にも台湾にも表音文字があることを忘れているのでは。また、韓国語の漢字読みは音読みしかないことも思い出していただきたい。

例えば「朝日」を日本の姓だと仮定していただこう。中国ではZhaoriと中国語の発音に基づいて表記され、「アサヒ」と全く関係のない発音なのはご存知の通り。

さて、韓国ではこれをasahi(ここはShift_JISでハングル表記できないとおもうのでローマ字にしておく)と表記し、「朝日」の漢字読みであるjoyilとは全く関係がなくなる。

まとめると
中国では日本語の発音を全く関知しない。
韓国では日本語の発音に近い読みを採用し、韓国語の漢字の音読みを無視する。

仮に中国で韓国方式を採用したとすると、「朝日」はAsaxiと書けばよい。ただし中国がそれをしていないのだから、日本では「胡錦濤」をこきんとうと書くのが当然だ。
Posted by 楼主 at 2007年01月16日 13:54
中国人は中国の音で日本名を読むかわり、日本人は日本の音で中国名を読む。どちらも文句は無しというのがお約束だったと思うのにいつのまにやら朝日はまたねじ曲がったようですね。中国古典文学学者さんの解説を見つけましたのでどうぞ。
http://puzhai.cocolog-nifty.com/zazhi/2005/06/post_0c83.html
Posted by abbc at 2007年01月16日 17:31
管理人さんの英語版ページの署名は“Hisashi Nando ”になっていますね。
意識して名−姓の順にしているんでしょうか。
Posted by 良寛 at 2007年01月16日 20:21
> 意識して名−姓の順にしているんでしょうか。

「ローマ字 姓名」でグーグル検索すると、私のページがトップに現れます。そこに理由が書いてあります。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/moji/codehoso.htm

要するに、英文か、ローマ字和文か、で決まります。
Posted by 管理人 at 2007年01月16日 20:56
ありがとうございます。
参照先を読ませていただきましたが,どうも理由に一貫性が無いように読めてしまいますゴメンナサイ。
例えば欧米人の名前が日本語の文章にでてくる場合に姓−名の順にしたりしませんよね普通は。
私は自国の名前の標記順を引っくり返したりする日本の習慣?自体がナンセンスだと思ってます。
Posted by 良寛 at 2007年01月16日 22:19
姓を先に表記する国は東アジアの他にハンガリーがあります。作曲家のベーラ・バルトークは本国ではバルトーク(ボルトーク)・ベーラ。

日本で欧米人の名を姓先に表記したり、欧米他諸外国で自分の名を姓先で名乗ったりすると誰が困るか?自分が困ります。いちいち説明しないといけない。いちいち「いったいどちらが姓なのか」調べないといけない。姓か名かまぎらわしい名前は日本にも諸外国にも沢山あります。
Posted by tubird at 2007年01月17日 10:04
とすれば、「胡錦濤」に「フーチンタオ」とルビを振ることは、「日本人読者は中国語読みせよ」という方針である>人民日報日本支局たる朝(鮮)日(報)新聞の有り難い〜お心遣です。屈中・屈朝好きのサヨ、カルトの池田大作教信者は有り難く拝読するように!
Posted by 吉平 at 2007年01月17日 12:10
それぞれの文化に根ざした姓名をそのままの表記で使う,というのはごく当たり前のことだと思われますがいかがでしょうか?

どちらが名なのか分からないと困る?
それって「ファーストネームで呼ぶ」ことが親しみを込めた意味になる特定の文化に阿ってませんか?
少なくとも日本では,一般社会での親しみの表現として「相手を名で呼ぶこと」は一般的ではありませんし,そもそも親しい間柄でどう呼ぶかは「相手がどう呼んで欲しいか」が第一でしょうから,相手とのコミュニケーションなしに(相手に聞かずに)相手の姓名を決まった順序としてあらかじめ自動的に知りたい,なんて状況は私には考えにくい。
「ファーストネームで呼び」たくなるような間柄になったら,どう呼んで欲しいか(必ずしも名とは限らないから)相手に聞く,あるいは,自分からこう呼んで欲しい,と伝えるんじゃないでしょうか。

その昔,特定の文化圏・言語圏に合わせて,順序をひっくり返して名を前にする,という妙ちくりんな習慣を作っちゃったのはどこの西欧かぶれの方々なのか知りませんが迷惑な話ですね。
こんな習慣を作っちゃったから本来しなくてもいい「姓名の順序をどうするか」なんて議論がでてきちゃうわけですよ。
何やかやと妙な理屈をつけて直さずにいると根本的な問題はずっと解決しませんから,本来あるべき姿に正していくべきです。
Posted by 良寛 at 2007年01月17日 13:57
本日11月24日付けの朝日新聞オピニオン欄「異議あり」に,「姓名のローマ字表記順をひっくりかえす慣行をやめませんか。」という和歌山大教授(英語教育史研究)江利川春雄さんの提言が掲載されました。
自分の名前を大事にできない人は,他人の名前も大事にできない,とする氏の主張に同感です。
いかがでしょうか?Nando Hisashiさん。
Posted by 良寛 at 2010年11月24日 16:13
私も気になったので、文句を言いたいな、と思っていたところです。内容は、下記。
 ──
 新聞は、意見の片方ばかりを紹介するな。両論併記せよ。まずは、「姓名 ローマ字」で ぐぐれ。検索結果の 1番目のページを読め。

> 自分の名前を大事にできない人は,他人の名前も大事にできない,とする氏の主張

 馬鹿丸出し。
 「名前よりも、人や心を大切にせよ」
 と言いたいね。

 検査結果の
 「名前は誰のものか?」
 という箇所を読めば、馬鹿げた発想もなくなるはずなのに。

> 「外国と交渉するときに自分の名前を『名ー姓』で紹介した瞬間に、向こうの主導権、覇権を認めたことになる」

 こういう威張り散らした発想の人間とは、とてもお友達になれないね。「譲り合う」ことなんか決してできないだろう。戦争をする北朝鮮と体質が同じ。
Posted by 管理人 at 2010年11月24日 18:39
中国人は英語でも姓名の順を変えないという。するとどうなるか、という話がある。

 → http://yukun.cocolog-nifty.com/mortgage/2010/08/post-a779.html
Posted by 管理人 at 2010年11月24日 18:58
姓−名の順序だけではなくて,世界の国や地域のなかには,姓が無い・姓名が一体化・姓名とは異なるもの(地名等)が含まれる,など多様な名があるようです。
相手側に合わせるということになれば,名だけ伝えるのか,あるいは何か姓名とは違うものを付け加えるのか,名−姓の順にするのか,を知ってそれに合わせて自分の名を「加工」して名乗る必要があります。
例えば,通訳を介して自分の名を伝える場合に,相手文化での名前の表記構造を教えてもらわなければ「正しく」名乗れないことになりますね。
馬鹿げています。
Posted by 良寛 at 2010年11月26日 23:31
> 相手側に合わせる

そんなこと、誰も言っていませんよ。その誤読癖を直さないと、どうしようもないですね。ちゃんと読むべし。


しょうがないから大サービスで、いちいち教えてあげます。

「相手」じゃなくて「環境」(郷)です。
環境に合わせられない人は、淘汰されて当然でしょう。生きていく資格・能力がない。
Posted by 管理人 at 2010年11月27日 00:22
だいたいね。この問題は、英語の問題なのだから、英語を使う人が決めればいい。日本人(特に日本語を決める国語審議会)が決めることじゃない。先の文書でも述べたとおり。

 国語審議会の方針に従って、英語の教科書では「姓−名」の順になったというが、これは国語審議会が英語の書き方を決めていることになる。だったら、常用漢字はアメリカ人や英国人に決めてもらうべきだ、となる。そういう狂った論理。

 そもそも、国語審議会であれ、江利川春雄であれ、英語の方針について日本語で書く、というところが根本的に狂っている。どうせ英語の方針を書くのであれば、英語で書くべきだ。
 どうせろくに英語力もないから、せいぜい名前だけを英語ふうに書いて、お茶を濁しているのだろう。語順について語るくらいなら、まともな英語をちゃんと語れるようにするべし、と言いたいね。
 私はしばしば英語を書いて、英語圏の人々と論争をしているが、国語審議会や江利川春雄は、そういうことをやっているのだろうか? どうせなら英語で書いて、英語圏の人々と論じるべきだ。日本語で書いて日本人向けに語る、という点で、根本的に狂っている。
Posted by 管理人 at 2010年11月27日 00:44
管理人さんにお言葉を返すようで恐縮ですが,誤読しているのはどちらなのでしょうか。

>「相手」じゃなくて「環境」(郷)です。

前コメントで私は,「相手」ではなく「相手側」と書き,さらに誤解のないように「相手文化での」という表現でもって「環境(郷)」の意味合いであることを示しています。

それを踏まえて,相手側の環境であるところの名前の表現文化に合わせるということであれば,(姓・名の並びだけではないという意味の)特殊な名前表記の人々に対しても同じ対応をするのですか?と前回問うたのです。

ひょっとすると,管理人さんは「英語圏に対する場合“だけ”合わせる」という欧米至上主義的な考え方なのでしょうか?


それから,いただいた返事についても応答しておきます。

> 馬鹿丸出し。
> 「名前よりも、人や心を大切にせよ」
> と言いたいね。

大切な名前の表記を軽視することなく,人や心と同様に名前も大切にするべきだと考えます。

> 検査結果の
> 「名前は誰のものか?」
> という箇所を読めば、馬鹿げた発想もなくなるはず>なのに。

大切な名前の表記を軽視して順序をひっくりかえすなどという発想が馬鹿げていると考えます。
欧米人が日本に来たときに自分の名をひっくりかえして姓−名という順序で名乗ってくれたとして,それを「譲り合ってくれた」と有難く評価し,そうすべきことだと思われますか?
私であれば,そんな馬鹿げたことは(お互いに)するべきではない,と,その欧米人を諭しますね。
Posted by 良寛 at 2010年11月27日 13:03
面倒臭いけど説明します。

> 相手側の環境

 違います。自分のいる環境です。日本にいれば日本。ハワイにいればハワイ。自分がどこにいるかが問題。相手のことなんかどうでもいい。
 例。日本人と韓国人がハワイで出会ったら、英語でどう名乗るか? ただし相手が韓国人であることは不明。わかっているのは、英語で語りあっているということだけ。(フランス語でもドイツ語でもハンガリー語でも構わないが。とにかく、使う言語だけははっきりしている。)

> 大切な名前の表記を軽視して順序をひっくりかえすなどという発想が馬鹿げていると考えます。

 まったくその通り。だからその環境(言語)における正しい順序をひっくり返してはいけないのです。
 英国でもフランスでもドイツでも、順序が決まっているのだから、日本人が出てきて、勝手にひっくり返してはいけない。少なくとも現地の言葉で語っているときは。

> 欧米人が日本に来たときに

 日本語には外来語というものがあって、外国語をカタカナ発音しますからねえ。ジョン・スミスもカタカナで発音・表記することが可能です。

 外来語という表記法もあるんですね。日本独特で。(外国人にはすごく評判が悪いが。外来語は外国人には、ただの日本語なので、覚えるのが大変らしい。)
 そういう風習があるから、それに従ってもいい。
Posted by 管理人 at 2010年11月27日 13:30
> 欧米人が日本に来たときに

 日本語には、欧米人の姓名をその順で示す風習がありますから、それに従っていい。そういう風習があるなら、元のままが可能なので、「できるならばその方が好ましい」という方針に合致する。何も問題ない。

 ──

 一方、英語でどう語るべきかということは、日本語の問題ではなく英語の問題なので、欧米人に向かって「こうせよ」と英語で書いてください。本欄で書くのはお門違い。
 国語審議会の方針は、「和製英語を世界で語ろう」という方針なので、それは海外では通用しません。英語教育を阻害しているだけだ。

 とにかく、英語の方針を改めたければ、英語を使って書いてください。よほど英語が上手だから、英語の方針を欧米人に教えてあげたいのでしょう。ですから英語で書いてください。さもなくば無意味です。
Posted by 管理人 at 2010年11月27日 14:20
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