前項の「トンデモとは何か?」の続き。
( ※ 前項の内容を、進化論に当てはめて、詳しく説明する。進化論の話。)
( ※ 本項の内容は、特に重要な話があるわけではない。前項の内容を、具体的な例に当てはめているだけだ。何か新味のある情報があるわけではない。細かな点で補充的に解説するだけだ。) ──
トンデモ論議のうち、特に、クラス進化論に限定して論じる。
「クラス進化論はトンデモだ」
という批判がある。しかし、この批判は、実はクラス進化論を読まないで語っている批判だ、とわかる。このことを解説する。
(1) 従来の説の否定
「クラス進化論は従来の説を否定しているからトンデモだ」
という批判がある。しかしこれは勘違いである。クラス進化論は、従来の説を、全否定しているわけではなく、部分否定しているだけである。換言すれば、一部を否定することで、従来の説を修正・拡張している。
要するに、クラス進化論は従来の説とまったく同じだということはない。それだけだ。(クラス進化論の表紙ページで述べたとおり。 )
結局、上記のような批判は、「従来の説とまったく同じではないからトンデモだ」と主張しているだけにすぎない。「定説のない分野でも、既存の仮説とは異なる仮説の出現を認めない」と述べているだけにすぎない。ただの動脈硬化である。(前項で述べたとおり。)
(2) クラス交差
「クラス交差(劣者連合が優者に転じること)という概念は、従来の説でも考えられる。別に、クラス進化論の独自の概念ではない」
という批判がある。しかしこれもまた勘違いである。
そもそも、「劣者連合が優者に転じること」という発想は、ゲーム理論では古くから知られてきた概念だ。(囚人のジレンマや、ナッシュ均衡)
だから、それを進化論の分野に導入したとしても、そのこと自体は、別に画期的な業績というふうになるわけではない。ちょっとした思いつきであって、同じようなことを考えた人は他にもいるだろう。また、言われてみれば、あとで「当り前じゃん」と思う人も多いだろう。(コロンブスの卵。)
しかし、クラス進化論の意味は、クラス交差ではない! このことに注意。クラス進化論は、クラス交差という概念を核心とするが、核心だけで理論ができているわけではない。
比喩的に言えば、人間の核心は脳と心臓だが、脳と心臓だけで人間ができるわけではない。ここを勘違いすると、次のような解釈が生じる。
「人間に脳があるとしても、魚や昆虫にも脳はあるぞ。だから、人間なんて、魚や昆虫と同じ価値しかない」
この解釈は、勘違いだ。人間の価値は、「脳があること」だけではないのだ。そのことだけに着目して人間の独自性を否定するのでは勘違いとなる。
クラス進化論の核心的な概念は「クラス交差」であるが、クラス進化論の意味は、「クラス交差」だけではない。では、何か? 進化論としての意味は、次のように言える。
クラス進化論とは、「マトリックス淘汰」と「クラス交差」を原理として、ここから演繹的に次のことを結論するものだ。「大進化は(漸進的でなく)断続的に起こる」つまり、クラス進化論とは、「断続的進化を理論的に説明すること」を目的とした仮説なのである。
その目標は「断続的進化」である。ただし、そのことを、化石によって実証的に示すのではなくて、理論によって演繹的に示す。その意味では、実験物理学に対する理論物理学に相当する。
クラス進化論とは、「クラス交差」というアイデアではなくて、そのアイデアに基づいて「断続的進化」を結論する理論体系(演繹的な体系)なのである。ただの思いつきならば、1ページで説明ができるが、理論体系は、詳しく書くには原稿用紙千枚を必要とする。こういうふうに、原稿用紙千枚で書かれた理論体系が、クラス進化論だ。( その要約としての一部分が、ホームページ上で公開されている。)
だから、「クラス進化論とはトンデモだ」というふうに批判する際に、「クラス交差には独自性がないから」と理由づけをする人は、ひどい勘違いをしているわけだ。理論体系の全体を読まないで、特定の一部だけに着目して、全体を否定してしまっている。どこか一部がちょっと気に食わないからといって、話の全体を読みもしないで強引に切り捨てる。……一言で言えば、「食わず嫌い」であるが、「読まないで決めるオッチョコチョイ」と言ってもいいかも。
[ 付記 ]
なお、まともな人ならば、こういうオッチョコチョイの立場を取らず、科学的な立場を取る。科学的な立場とは? 前項で述べたとおり。つまり、
「仮説を事実と照合して検証する」
ということだ。具体的には、次の二つの仮説がある。
・ 従来の説(自然淘汰説) …… 漸進的進化(小進化の蓄積による大進化)
・ 新しい説(クラス進化論) …… 断続的進化(階段状の進化)
この二つの仮説は、いずれも理論であるが、結論は正反対だ。そこで、どちらの結論が事実に合致するかを、化石を見て照合すればいい。それが科学的立場というものだ。
[ オマケ ]
クラス進化論のサイトの表紙には、次の文章を新たに追加した。
クラス進化論とは、「自然淘汰」「マトリックス淘汰」「クラス交差」を三つの原理として、大進化について「断続的進化」を演繹的に結論する理論(仮説)です。 |
以上のことからわかるように、クラス進化論について、
「従来の説を全否定している」
と見なすのは、勘違いである。なぜなら、「小進化」については従来の説と同じだからだ。どちらの説も「自然淘汰による小進化」を説明する。この点で、「クラス進化論は確立した定説(小進化についての定説)を否定するトンデモだ」と思うのは、ただの誤読であるにすぎない。
クラス進化論が主張しているのは、大進化についての仮説である。大進化については、いまだに定説がない。「小進化の蓄積で大進化が起こる」というのは、従来の仮説だが、これは定説となっていない。そこで、新たな仮説を出すのが、クラス進化論だ。
だから、「クラス進化論はトンデモだ」と主張するのであれば、「クラス交差による大進化(断続的進化)」という仮説を否定する必要がある。しかしながら、誰も、そんなふうには否定しない。読みもしないで、見当違いのところで、揚げ足取りをしているだけだ。無意味。
( ※ こういう無意味な揚げ足取りをする人が多い、ということは、前項で述べたとおり。その被害にあった物理学者の例も示した。)
[ 注記 ]
無意味な揚げ足取りとは、何か? 先日のドーキンス説論議をまとめれば、次のように言える。
南堂の主張 「進化は『遺伝子淘汰』だけで起こるのではない(他の原理も必要だ)」
批判者の主張 「南堂は『遺伝子淘汰』という概念を否定いる。定説を否定するからトンデモだ」
ここには、論理のすり替えがある。「遺伝子淘汰だけ」を批判するとき、「だけ」を批判しているのだが、それを読み違えて、「遺伝子淘汰」の方を批判していると思い込む。
国語読解力がないんですね。困ったことだ。
※ 補記
なお、次の混同もある。
・ 遺伝子淘汰説 = 遺伝子淘汰だけで進化が起こるという説。
・ 遺伝子淘汰概念 = ただの優勝劣敗(遺伝子間で)
この両者を混同して批判するのも、揚げ足取りの典型。(この件は前述。)

「断続的進化」というのはどのような進化をいうのでしょうか。
「連続的進化」との違いは,次の安定段階に進化するスピードが速いという事だと思いますが合ってますか?
進化のスピードは常に一定というわけではないでしょうから,断続的と連続的は「正反対」ではなく本質的には同じことのように思えるのですが。
親と子をみたときに,交配不可能なほど違う種が生まれてくるというのは考えにくいので,やはり何らかのきっかけで急激に(しかし連続的に)変化した後に安定する,という意味の「断続的」ならしっくり来ます。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/class_05.htm
> 「断続的進化」というのはどのような進化をいうのでしょうか。
大進化に何種類もあるわけではありません。大進化は一種類だけ。それをどう認識するかの違いです。
階段に対して、近くから見て「段々だ」と認識するか、遠くから見て「なめらかな斜面だ」と言い張るか、という違い。
> 進化のスピード
無意味です。
同じページの「進化の意味」の箇所を参照。
猿がだんだん人間に変化していくのではありません。
比喩的に言うと、親がだんだん子に変化していくのではなくて、親とは別に突発的に子が誕生します。子は二十年もかけて少しずつ誕生するのではなく、ある一瞬に突発的に誕生します。
(旧種と新種の関係。)
両者には何らかの継続性はありますが、はっきりとした断裂・段差があります。つまり、親と子は一つのものではなくて二個のものだ、ということです。
「進化とは一つの種の変化のことだ」という思い込みを捨てよ、というのが、クラス進化論の主張です。
親が子に変化することはないのと同じように、旧種が新種に進化することはありません。進化のスピードなどは無意味です。子の誕生のスピードを論じるのと同じように無意味。
>両者には何らかの継続性はありますが、はっきりとした断裂・段差があります。つまり、親と子は一つのものではなくて二個のものだ、ということです。
つまり,多くの親が,ある時一斉に別種(を含む)子を生むということでしょうか?
> 多くの親が,ある時一斉に別種(を含む)子を生むということでしょうか?
種レベルでなく個体レベルで言うなら、「急速な進化」とか「進化のスピード」とかは有意義です。大進化の「一瞬」というのは、現実には、1万年ぐらいだと思えます。その間は、急速な進化があることになります。
ただし、それは、種全体の進化ではなくて、特定集団における進化です。
種全体がノロノロと進化しているうちに、どこかのニッチで急激な進化が起こります。それがあるとき突然、新種として、旧種のなかに現れます。
詳しくは
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/class_01.htm#17
クラス進化論の原理
※ 種全体のおおまかな進化だけでなく、個体レベルの話もするので、やや難解です。
──
いちいち私に質問するより、全部をざっと読み通した方が早く理解できると思いますよ。
どんな学問でも、一つ一つ疑問点を質問するより、教科書を全部読み通した方が、早く身につきます。
「クラス進化論の概要/クラス進化論の結論/進化は段階的である」にはこうあります。
> ただし、この中間的な存在は、個体として存在しているだけであり、「種」を形成してはいない。だからこそ、中間的な「種」は存在しないのである。
>( ※ なぜ、「種」を形成しないのか? 「遺伝子の集中」が非常に急速に進むせいで、個体数が非常に少ないからだ。だから、もちろん、化石として残ることはない。)
私が,進化のスピードの問題ではないのか,と尋ねた際に,無意味である,とのお返事をいただきました。
ところがここには「急速に進むせいで」とあります。
これはスピードを問題にしているとしか読めないのは私の誤解ですか?
前回のコメント(2006年10月18日 00:11)に説明してあるとおりです。着目点の違い。
例。自動車で。燃費だけを重視するときにはスピードは無意味。急ぐときにはスピードは有意義。
さらに言うと:
「進化」という一種類のものがあって、そのスピードを二種類に変えるのではないんです。「小進化」と「大進化」という二種類のものがあるんです。スピードを基準にして考える、という発想そのものが無意味。
例。「飛行機は高速の移動装置であり、船は低速の移動装置である」……こういうふうに「スピードの差」としてとらえるのは、ほとんど無意味です。なぜなら飛行機は「スピードの速い船」ではないからです。
「スピードの差よりも、本質的な差を見よ」ということです。こういう説明に対して、「飛行機は船よりもスピードが速いという見解は、間違いなのか?」という質問をしても、その質問自体が無意味です。
──
初心者向けにいちいち説明すると:
(1) 新種が誕生するときには、「進化(小進化)のスピードはどのくらいだったか?」と考える必要はなく、「新種はほぼ一瞬にして誕生した」と考えるだけでいい。(長期的な視点)
(2) 「新種はいかにして形成されるか」について進化の内部を細かく見るときには、進化のスピードよりも進化の過程(クラス交差)を緻密に見るべきだ。そこでは、クラス交差にともなって、進化のスピードも速くなる。ただし、「進化のスピードが速くなったから大進化が起こった」のではない。「クラス交差が起こったから、大進化が起こった。ゆえに、そこでは、進化のスピードが速くなった(ように見える)」となる。
進化のスピードなんかを考えるのは無意味だ、ということ。進化のスピードの違いで小進化と大進化を区別するのは無意味だ、ということ。両者の本質的な違いを理解するべきだ、ということ。
小進化と大進化をスピードの差で理解するのは、男と女の違いを身長の差で理解するようなもの。無意味。