2006年10月10日

◆ 統計の嘘


 朝日新聞の新しい文字(フォント)に対して、(小規模の)世論調査がなされた。(朝刊・特集面 2006-10-09 )
 その世論調査の結果は、
 「新しい文字の方が、古い文字よりもいい」
 ということだったそうだ。しかしこれは、「統計の嘘」である。ここにはゴマ化しがある。 ──

 朝日の文字(フォント)については、先日も述べた。まずは、そちらを参照。
  → http://openblog.meblog.biz/article/39035.html

 この見本を見ればわかるとおり、横線が2ドットから3ドットになっている。(朝日の記事にはそうは書いてなくて、単に「横線を太くした」と書いているだけ。私の話の方が詳しい。自社の情報もまともに出さないんだから、朝日の記事がいかに情報不足で嘘っぽいかわかる。)

 上記の話では、次のように結論している。
 「 評価。
 もともと見やすい文字(「し」)は、たしかにいっそう見やすくなった。しかし、もともと見やすいのだから、さらに見やすくする必要はなかった。
 もともと見にくい文字(「襲」「量」)は、ますます見にくくなった。」

 ここでは、「見やすい文字」と「見にくい文字」との比較が重要だ。
  ・ 見やすい文字は、いっそう見やすくなった。
  ・ 見にくい文字は、ますます見にくくなった。


 では、改善するべきなのは、どちらか? もちろん、「見にくい文字」だけである。こちらだけを改善すればよい。見やすい文字は、これ以上改善する必要はない。

 では、見やすい文字と見にくい文字は、どちらが多いか? 換言すれば、画数があまり多くない文字と、画数がとても多い文字は、どちらが多いか? もちろん、画数があまり多くない文字の方が、ずっと多い。
 朝日の記事から例文を弾くと、次の例がある。
 「文字がくっきりと美しい朝日新聞」
 この例では、画数が多い文字は、「聞」という文字だけだ。次いで「朝」と「新」だろうか。評価すれば、こうだ。
  ・ 新フォントの方がきれいな文字 …… 文 字 が く っ き り と 美 し い 日
  ・ 旧フォントの方がきれいな文字 …… 聞
  ・ どっちでも差があまりない文字  …… 朝 新

 だから、数だけ見れば、新フォントの方がきれいになっている文字の方が多い。
 単純に「どっちがいいか?」と比較すれば、おおざっぱに見て、「新フォントの方がいい」と思う人が多いはずだ。特に、目のいい人ならば、どっちでもきれいに見えるから、「新フォントの方がいい」と答える人が多いだろう。若者ならば。

 しかし、本当に改善が必要なのは、「聞」のように画数が多い文字だ。そのような文字は、新フォントでは文字がつぶれる。こうなると、若者は「ちょっと見にくいかな」と思うぐらいで済むだろうが、老人はとても難儀しそうだ。
 
 というわけで、全体を見させて「どちらがいいか?」というふうに調査することは、調査する方針そのものが間違っている。正しくは、「見にくい場合だけを改善する」という方針のもとで、次のように調査するべきだ。
  ・ 対象文字は、画数の多い文字だけにする。
  ・ 対象読者は、若者を入れず、老人だけにする。
 この条件で、世論調査をやり直す必要がある。さもないと、調査そのものが、誤った方向に誘導しようとする調査になる。「新フォントがいい」という結論を出すための誘導尋問にすぎない。「高齢者にとっての見にくさ・読みにくさを改善する」という当初の方針から懸け離れて、「若者にとっての美的感覚で美しさを決める」という方針になってしまう。

 ────

 比喩的に例を挙げよう。次の調査がある。
 「生活保護世帯に渡す金は、とても多額です。そこで、この金を廃止して、その金を国民全員に分配する、という政策があります。あなたは賛成ですか、反対ですか?」
 「重度の病気の老人のために国家がかける金は、とても多額です。そこで、この金を廃止して、その金を国民全員に分配する、という政策があります。あなたは賛成ですか、反対ですか?」
 いずれにしても、国民の大多数は「賛成」と答えるだろう。
 「自分はちゃんと働いていて生活保護を受けていないから、得をする」
 「自分は重度の病人ではないし、老人でもないから、得をする」
 こういうふうにして、困窮者に渡すべき金を一般国民に渡せば、たいていの人は得をする。だから、たいていの人は、「賛成」と答えがちだ。
 しかし、社会福祉制度というものは、「困った人のため」にあるのだ。困っていない人が「自分は困っていないから、福祉なんかいらない」という答えたからといって、「社会福祉制度は不要」というふうに結論するのは、おかしいだろう。

 あるいは、次の比喩もある。
 競馬のレースがあった。一部の人は馬券が的中して大儲けしたが、大多数の人は馬券がはずれて損をした。ここで、「この競馬を無効にするべきか否か」という世論調査をなすことにした。大多数の人は、はずれた馬券の分の金を返してもらえる。だから、大多数の人は「無効にする」という案に賛成する。
 しかし、そんなふうに、「自分さえ良ければいい」という人が多いからといって、競馬を無効にするのは、馬鹿げている。

 ────

 世論調査というものは、単に多数決で決めればいいのではない。多数決で是非を決めて、それで結論を出す、というのは、一見、民主的に見えるが、そうではない。そういうやり方をするのは、「統計の嘘」である。上記の競馬の場合もそうだし、社会福祉の場合もそうだ。

 単純に是非を調査すればいいのではない。目的が何であるかを知った上で、その目的に合致するための調査をする必要がある。
 文字(フォント)の場合には、「あらゆる文字についてどっちがきれいか」なんていう調査を漠然とやっても駄目で、「どうにも読みにくい画数の文字についてのみ、どっちが読みやすいかをチェックする」というふうにする必要がある。

 ここでは、大多数の意見が犠牲になる必要がある。つまり、大多数の人が大多数の文字について、「新フォントの方がきれいだ」という美的評価を下しても、その意見は却下していい。逆に、「少数の高齢者が少数の文字についてひどく読みにくい」という困難度の評価を下したら、その評価を重視するべきだ。

 文字について大切なのは、「きれいかどうか」ではなくて、「読めるかどうか」である。「あいうえお」という文字がちょっときれいに見えるかどうかが重要なのではなく、画数の多い文字がちゃんと読めるかどうかが重要なのだ。文字の重要さとは、きれいさではなくて、読めるかどうかなのだ。
 そして、新フォントについて「きれいだ」という評価がどんなに多くても、「読めない」という評価が上がったなら、後者の意見を採用して、「読めないのは駄目」という結論を出すべきなのだ。

 簡単に言えば、一万人が快感を得ることよりも、ただ一人の生命を守ることの方が、はるかに重要である。ただの快感と、生命とでは、重みが異なる。重みのことなるものを世論調査で評価して、「一万人の人が賛成したからこちらを取ります」という判断をするのは、正しい判断ではない。それは「統計の嘘」である。
posted by 管理人 at 00:00| Comment(0) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
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