2006年10月01日

◆ ドーキンス説をめぐる無駄論議2


 「ドーキンス説」のページへのアクセス数が増えたので調べてみたら、下記のサイトからのリンクがあった。南堂の説への批判。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20061005

 ※ 2008-02-02 になって、ほぼ同趣旨の批判が繰り返された。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080201
 これについては、コメント欄に詳しく解説した。 ──

    ※ 本項には有益な話は書いてありません。無駄論議です。



 上記のサイトを見たが、読んで呆れてしまった。

 これと比較すると、前出のコメントの Stromdorf さんの批判がいかにまともであるか、よくわかる。なぜなら、Stromdorf さんの批判は、論拠のある批判であったからだ。つまり、「これこれの理由でその説はおかしい」というふうに、《 論理で 》批判していたからだ。
 論理による批判にならば、論理によって答えることができる。それがこれまでの私の返答だ。

 ところが、上記のサイトの批判(?)は、論理がない。かわりに、ただの文学的な悪口だけがある。これは、論理による批判がないのだから、返答のしようがない。

 上記のサイトには、論理が何一つない。あるのは、次の一言だけだ。
 「南堂はドーキンスの説を読んでいない」
 しかし、私が何を読んだか読まないかということは、論理の問題ではない。それはその人の勝手な推定だ。その推定が正しくても正しくなくても、そんなことは論理ではなくて、ただの個人的な日記の問題である。そんなことは議論の対象にはならないのだ。

 「南堂は(たぶんドーキンスを読んでいないから)ここをこう誤読している」
 というのは、いくらか議論の対象になるかもしれない。しかし、それが正しいとしても正しくないとしても、そんなことは、議論に入るか入らないかの問題であるにすぎない。仮にそれが正しいとしたら、
 「南堂の説は間違っている」
 というふうにはならず、
 「南堂の説はドーキンスの説を論じていない」
 というふうになるだけだ。
 なのに、「誤読しているからトンデモだ、間違いだ」と決めつける。頭の論理回路が狂っているとしか思えない。

 比喩的に言おう。私はフランス料理の本を読んでいない。だからフランス料理の仕方を知らない。で、勝手にフランス料理の話をしたら、単に「フランス料理のことを知らないで話しているから、フランス料理については何も語ったことにならない」というふうになるだけだ。ただの門前払いである。
 これは、正しいとか間違っているとか以前のことだ。もちろん「トンデモだ」ということにはならない。単なる無知であるだけだ。無知であるなら無知であると評価すればいいだけのことであって、いちいち「トンデモだ」などと批判する必要はないのだ。
 もし議論をするならば、「南堂はここではガーリックを使えと述べているが、ガーリックではなくてガーリック・オイルが正しい」というふうに、具体的に論理的に述べるべきだ。それならば、議論になる。一方、
 「彼は本を読んでいないから無知だ、ゆえに彼はただのトンデモである」
 というのは、議論ではなくて、ただの悪口であるにすぎない。多大な分量の文章を費やして、ただ「馬鹿、間抜け」と悪口を書いているだけだ。無内容。

 彼のために指摘しておこう。まず、次の言葉を引用しよう。

> 要するに南堂氏は陥りやすい誤りに陥った上で、ドーキンス説を批判しているだけ。

 こういう勘違いをしないでほしいものだ。すでに前述のコメントで、何度も指摘したことだが。

 とにかく、「ドーキンス説は駄目だ」「ドーキンス説を批判する」という言葉を、字面どおりに読まないでほしい。子供じゃないんだから、字面を読んで理解したつもりにならないでほしい。
 正確には、私が言っているのは、「ドーキンス説を批判している」のではなくて、「ドーキンス説を拡張するべし」ということだ。
( → http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/class_82.htm#chu )


 核心的に言うなら、「個体は遺伝子の乗り物だ」という発想を否定している。ここでは、「遺伝子淘汰」という概念を否定している。その意味は、こうだ。

 遺伝子の増減を考えるときに、「単独の遺伝子」の増減を考えるのでなく、複数の遺伝子からなる「遺伝子セット」の増減を考えるべきだ、ということ。つまり、遺伝子の相互影響を考慮するべきだ、ということ。
 以上のこと。ただそれだけである。
 ここでは、ドーキンス説の《 一部だけ 》を否定しているにすぎない。一部の否定をもって、「ドーキンス説(の全体)を批判している」というふうに解釈するのは、間違いだ。

 上記のサイトは、あまりにも馬鹿げている批判だから、次のように言い換えて説明しておこう。

 南堂は、ドーキンス説を否定していない。ドーキンス説を基本的には肯定している。ただし、ごく一部を、拡張している。──これが南堂の説の正確な認識だ。

 ゆえに、「ドーキンスの説を基本的には肯定している」という南堂を、「トンデモだ」と批判するのであれば、その人自身は、「ドーキンスの説をほぼ肯定する」ということを、否定していることになる。
 ドーキンス説をほぼ肯定する南堂をトンデモ扱いするなら、その人自身が、ドーキンス説を批判するトンデモであるわけだ。自己矛盾。


 ────────────────

 【 注記 】
 「その言い分は、ドーキンス説をトンデモ呼ばわりした前述の話と違うじゃないか。話が違うぞ」
 という文句も来そうだ。そこで、説明しておこう。

 実は、先の話も今回の話も、どちらも正しい。要するに、ドーキンス説は、真っ白ではなくて、灰色なのである。白い部分も、黒い部分もある。
 今は多くの人が「白だ」(真実だ)と思い込んでいる。だから前回は、「そうじゃないぞ」というふうに強調して、「白じゃなくて、黒っぽいぞ」と主張したわけだ。

 すると、「ドーキンス説は黒扱いするのか? しかし、黒じゃないぞ」と上記のサイトの人が批判している。だから今度は、「そうじゃないぞ」というふうに強調して、「黒じゃなくて、白っぽいぞ」と主張しているわけだ。

 本当は、ドーキンス説は、白でもなくて黒でもなく、灰色である。つまり、ドーキンス説は、だいたいは正しいが、一部分を修正する必要がある。つまり、中間的な灰色だ。それが科学的な認識だ。
 なのに、「『黒だ』と叫んだから南堂は嘘つきだ」と批判しているのが、上記のサイトだ。実際には「黒だ」とは叫んでいないのに、勝手にそう思い込んで、批判しているわけ。「南堂はドーキンス説を批判しているからトンデモだ」と。何を勘違いしていることやら。

 これはただの悪口の羅列であって、科学的でもないし、議論の対象にもならない。一種の文学趣味。(言葉の引用があるだけで、論拠はなし。文学ですね。文芸評論として、テキスト批評でもやっているつもりなんでしょう。)

 その点、Stromdorf さんの批判は、論拠がありました。これなら、議論になります。

 ──

 おまけで一言。

 どうも、上記サイトの人は、「南堂はドーキンスの批判をすることを目的としている」「南堂はどうしてもドーキンスを批判したがっている」と思い込んでいるらしい。
 しかし、自分が他人の悪口を言うのに熱中しているからと言って、南堂もまたドーキンスの悪口をいることに熱中しているのだろうと思い込まないでほしいものだ。
 私にとって大切なのは、真実の探求だけであって、他人の批判ではない。「南堂はドーキンス批判をしたがっている」と思い込んでいる時点で、とんでもない勘違いをしていることになる。

 私は別に、ドーキンスの悪口を言っているのではない。ドーキンスの説を拡張しようとしているだけだ。「遺伝子単位で考えず、遺伝子セットで考えよ」というふうに。つまり、「遺伝子間に相互的な影響がある」ということにもとづいて、「遺伝子のかわりに遺伝子セットで増減を考える」という発想を取るべきだ、と言っているのだ。
 そして、ここでは、「相互的な影響がありますね」というふうな、単なる感想を述べるだけでは済まないのだ。感想ではなく、メカニズム的な究明が必要となる。そのためには、まさしく、根源的な認識態度を、全面変更する必要がある。
(感想を述べればそれでOK、と考えているのが、上記サイトの人。)

 なお、私は、ドーキンス個人を否定しているのではない。ドーキンスの説は、その時点では、非常に画期的な業績となっている。歴史的には、大いに意義のある成果だ。称賛するに値する。
 ただし、その説は、完璧ではない。完璧ではないものを完璧だと信じている人がいるなら、そういう人々は批判されねばならない。私が批判しているのは、ドーキンス説を盲目的に信じる人々なのだ。ドーキンス個人ではない。
 ドーキンス説は、完璧ではないがゆえに、拡張される必要がある。どんな学説であれ、完璧ではないのだから、完璧でない部分を修正される必要がある。──そういうことがわからない人が、「ドーキンス説は完璧だから、それを批判する異端の説はトンデモだ」と主張して、科学の進歩を阻止しようとするのだ。

 完璧なる自己肯定。あらゆる批判の拒否。他人から受ける批判を徹底的に曲解する。「だいたいは正しいですけど、この箇所だけは、部分的に変ですよ」と批判されると、自分を全否定されたと感じて、「おれを全否定するのか。おまえはトンデモだ」といきりたつ。聞く耳持たず。

 はっきり言って、こういう人とは、話をしたくありません。

 p.s.
 なお、このあとどうしても議論したい人がいたら、注文があります。
 「南堂のドーキンス説批判は間違いだ」
 というような馬鹿げたことを言わないでほしい、ということです。なぜなら、私はドーキンス説批判をしていないからです。批判をしているのではなくて、拡張をしているのです。

 ゆえに、このあと議論したいのであれば、
 「南堂の拡張の仕方はおかしい・間違っている」
 というふうに、「拡張」そのものについて議論してください。
 さもなくば、議論にはならず、ただの口喧嘩になるだけです。そんなのはお断り。時間の無駄。

 [ 注記 ]
 本項を一言で言えば? こうだ。
 「南堂は、ドーキンス説を批判したがっているのではない。そんなことはどうでもいい。そんなことは論点にならない。論点とするべきことは、別にある。その論点について語らずに、ドーキンス説への批判として十分な批判となっているか否かなんということは、論点の対象外である。議論にならない。議論にならないことを議論したくない」

 要するに、「おまえはおれの悪口を言ったな」と喧嘩をふっかけてくる人に対して、「あんたの悪口を言うことなんか、私の関心ではありません」と述べているのだ。
 勝手に被害妄想に陥らないでほしいですね。

( ※ とはいえ、悪口を言うのが目的ではないにせよ、悪口を言ってしまったことは確かだ。村上ファンドの村上じゃないが、「たしかに言っちゃったんだから仕方ない」という感じ。ま、口が悪いのは、申し訳ありませんでした。ドーキンスさんには謝っておきましょう。)

 [ 余談 ]
 南堂は何で、こういう無駄な文章を書くのか? 暇な奴だな、と思う人もいるでしょう。はい。たまたま、これを書いているときに、暇な時間ができてしまったのです。(頭が仕事モードにならないので。)
 で、暇つぶしふうに、これを書いたわけ。ま、ゲームやテレビで時間をつぶすよりは、マシでしょう。

 読む方は、こんな駄文を読まされて困る? その通り。だから、本項の最初に、その旨を書いたでしょ。
posted by 管理人 at 10:00| Comment(38) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
重要な点を追加説明しておきます。

 それは「クラス交差」という概念の説明です。この概念では、
 「増えるものは増える、減るものは減る」
 ということは成立せず、かわりに、
 「増えるものが減る、減るものが増える」
 というふうになります。つまり、
 「優者である遺伝子が減り、劣者である遺伝子が増える」
 というふうになります。
 換言すれば、
 「優者が劣者になり、劣者が優者になる」
 というふうになります。

 では、なぜ、そういうことが起こるか? それはゲーム理論を見ればわかるとおりです。つまり、組み合わせしだいでは、「− と − の組み合わせが + になる」というふうになる場合があるからです。

 こうして、「自然淘汰の逆転」とも言うべきことが起こる場合があります。遺伝子の相互影響に着目すると、こういうことが判明します。

 しかしながら、
 「増えるものが増える、減るものが減る」
 というふうにだけ考えていると、上記のことがわかりません。それは思考停止です。
 この思考停止を脱するべし、というのが、クラス進化論の論旨です。
 別に、何か or 誰かを否定するのが、クラス進化論の論旨であるわけではありません。
Posted by 管理人 at 2006年10月06日 23:12
わかりやすい解説を新たに書きました。例の文書の最後。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/class_82.htm#51
 「二つの説の違いの核心」というセクションです。

 最後の結論は、次の通り:

> クラス進化論へ批判者の多くが、この点を勘違いしている。
> クラス進化論がドーキンス説のどこを否定しているか、まったく
> 理解していないのだ。そのせいで、「クラス進化論はドーキンス説を
> 否定している」というふうに勘違いの主張をする。
Posted by 管理人 at 2006年10月07日 00:49
利己的遺伝子説

という新項目を描きました。
次のページの紹介。

http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/class_83.htm
Posted by 管理人 at 2006年10月08日 13:24
2008-02-01 になって、同じ人(本文冒頭)のサイトからのアクセスが急増した。
よく見たら、次のページで本サイトへの批判が書いてある。

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080201

この人の誤読ないし誤解には、本当にほとほと困ってしまう。見当違いの批判ばかりを書いてくるからだ。

彼のいいたいことは、「南堂の説は間違っている」ということではなくて、「南堂はドーキンス説を正しく引用していない」ということだ。要するに、私の考える利己的遺伝子説と、彼の考える利己的遺伝子説とが、違っている。ま、そんなことは、学問の世界では、よくあることだ。××派の考える概念と、○○派の考える概念とは、同じ用語であっても、違う概念になる。そういうことは、よくある。「利己的遺伝子説」という概念もまた同様。

で、彼の言いたいことは、ドーキンスの原著に書いてあるものだけが利己的遺伝子説であって、それ以外のすべては利己的遺伝子説ではない、ということだ。だから、私の想定する「利己的遺伝子説」というものが、ドーキンスの原著の通りではないからという理由で、「南堂はドーキンスを読んでいない」と結論する。

これを比喩的に言うと、われわれが微積分学を微積分の教科書で勉強したときに、この人物はこう批判する。
「あんたはニュートンもライプニッツも読んでいないじゃないか。だからあんたは微積分学を学んだことにはならない。微積分学のことを論じるのであれば、ニュートンをライプニッツを読んで、原著の該当するページを示せ」

要するに、こういう人には、「学問は歴史的にどんどん発展する」ということが理解できないのである。そして、古典文学の研究者のごとく、一番最初の原典を重視する。これはつまりは「原典主義」である。ただひたすら原典との異同だけを論じる。(テキスト校正学?)

──

私が念頭に置いている「利己的遺伝子説」は、ドーキンスそのものの説ではない。ドーキンスのがあとで広がったものだ、と見なしてほしい。だから、それがドーキンスの原著にないとしても、ごく当たり前のことだ。

で、そのようにして「利己的遺伝子説」と呼ぶのが気に食わないのであれば、「ここで言う利己的遺伝子説とは、ドーキンスの説そのものではなくて、そのエッセンスを取って発展させたものだ」と定義し直せばいい。その上で、「現代の利己的遺伝子説の論者は、(サイエンスライターの)××氏などである。利己的遺伝子説の創始者の座は、彼らのものである」とでも呼べばいいだろう。そういう馬鹿げたことをしたければ。
 で、その場合には、「ドーキンスは、今日の利己的遺伝子説には、何ら貢献していない。彼は利他的行動も何にも貢献していない」という、馬鹿げた結論になる。

 ──

 いずれにせよ、こういう論議は、あくまで言葉の用語の問題であって、本質とは何の関係もない。「原典にあるかないか」なんてことを論じたければ、文学部に入ればいいのだ。

 どうせなら、生物学に論じてほしいですね。たとえば、「血縁淘汰説や利己的遺伝子説では、血縁者(妹)を通じて、たくさんの遺伝子が残せる」と言われるが、それは正しくない、と私は論じた。つまり、ハミルトンやドーキンスの主張は根源的に狂っている、と論じた。
 → http://openblog.meblog.biz/article/281506.html

 こういうふうに学術的な事実関係のレベルで論じるのが、学問というものである。「原文に書いてあったかどうか」なんていうことを論じたければ、文学部にでも行って文学研究でもしていればいいのだ。

 繰り返す。
 何かを論じたければ、学問のレベルで論じるがいい。字面で論じるべからず。用語が気に食わないのであれば、「用語を書き直すべし」とだけ注文するべし。ただし、用語をどう使うかは、人それぞれであるのが普通だ。

 最後に一言。
 利己的遺伝子説というのは、ドーキンスの専有物ではない。万有引力の法則がニュートンの専有物ではないのと同様だ。量子力学がシュレーディンガーの専有物ではないのと同様だ。したがって、そのよう語の意味するものも、時間的に変遷していく。最初の提出者の唱えたものだけが絶対的なものだ、と考えているようでは、その発想自体が根源的に狂っている、としか言いようがない。
 なるほど、文学ならば、作品は著者の専有物だ。マクベスはシェークスピアの専有物であり、後世の誰もがそこには貢献していない。その場合には、「後世の出版物の異同」という校正学は成立するし、原典を絶対視する立場も成立する。しかしそれはあくまで、文学である。
 科学に文学を持ち込むべからず。科学者は言葉遣いでなく事実関係のみを論じるべし。他人の言葉遣いだけに難癖をつけて、事実を論じない人の行為を「揚げ足取り」と言う。
Posted by 管理人 at 2008年02月01日 22:59
もう一つ述べておこう。
この人は、学問の方法というものを、根本的に間違えていると思う。

学問というものは、専門論文を読んで、正しく理解して、それを修正・発展することではない。それは二流の人物のやることだ。

たとえば、数学の定理があるとしよう。ここで、どうするか? 定理の証明をしっかりと読んで、その定理を発展させるべきか? ま、そうする人もいる。しかし、真に能力のある人は、そんなことはしない。では、どうするか? 

数学の定理を見たら、その定理(つまり結論)だけを見て、証明は見ない。証明はすべて自分で考え出す。自分の頭でゼロから作り出す。……これがまともな数学者のやり方だ。他人の業績をいちいち逐次的に理解することなんかはしない。エッセンスだけを知ったら、自分の頭で独力で構成するものなのだ。そして、そのあとで、自分の証明と、元の証明とを、照合する。(自分の証明が間違っていることもあるので、チェックするわけだ。)

まともな数学者ならば、誰もがそうしている。たとえば、藤原正彦もそうしている(いた)。この人が、元の定理を発展させた別の定理を生み出したとき、「あんたの定理では、証明が最初の人の証明法とは違っているぞ。あんたは最初の人の定理を読んでいない。ゆえにあんたの定理は無意味だ」などと批判するのは、馬鹿げている。

科学の世界で大切なのは、真実か否かだ。誰かの原典に合致しているか否かなどは、どうでもいいことだ。そのことがわからない人が、やたらと字句レベルで揚げ足取りをする。
( ま、そうしたがる気持ちは、わからなくもないが。)
Posted by 管理人 at 2008年02月01日 23:33
なお、この人(を含めて他の人も)がどう勘違いしているかを、指摘しておこう。

ドーキンスの利己的遺伝子説の核心は、
「個体は遺伝子の乗り物である」
ということだ。これは、
「遺伝子が個体行動に影響する」
とも言えるが、比喩的には、
「遺伝子が個体を操作する」
と言える。ただしこれを直接そのまま理解すると不都合なので、
「遺伝子が個体を《 直接的に 》操作するのではない」
という意味のことをドーキンスは注釈した。
ところがここを誤読して、
「遺伝子が個体を操作することはない(まったく操作しない)」
と思い込んでしまった人がいた。この人は、
「遺伝子が個体を《 間接的に 》操作する」
ということ( ※ )を理解できないわけだ。
 ※ http://openblog.meblog.biz/article/266957.html

利己的遺伝子説というのは、間違いというよりは、不正確なのだ。「操作する」というのが曖昧だから、「間接的に操作する」というふうに言い換えれば、うまく修正される。私が主張しているのは、そういうことだ。

で、ドーキンスの説は、もちろん、「自分が何に気づいていないか」ということについては書いていない。だから、そんなことは原典のどこにも見出せない。当然、私は、原典に見出せないことを書いている。で、そういうのを見出して、下らない揚げ足取りをする人が現れるわけだ。
Posted by 管理人 at 2008年02月01日 23:37
もう一つ、この人は私の文章を正反対に読み取ってしまっている。(この人はしばしば正反対の誤読をやるらしいが。)

まず、よくあるドーキンス批判は、次のものだ。
「ドーキンスは『遺伝子は個体を操作する』と述べているが、それは間違いだ」

これに対しては、
「ドーキンスはそんなことは言っていないぞ。ドーキンスを読んでから批判せよ」
という再批判は成立する。

しかし私の主張は、こうだ。
「ドーキンスは『遺伝子は個体を操作する』と述べているが、それは基本的には正しい(ただし部分的に修正する必要がある)」

ここではドーキンスの説を、「間違い」ではなく「正しい」と述べている。これに対して「それはドーキンスの説じゃない」というふうに難癖をつけるとしたら、いったい私はどうすればいいというのか? 「ドーキンスの説は正しい」と語るかわりに、「竹内さんの唱えた利己的遺伝子説は正しい」と述べて、「ドーキンスは(比喩以外に)何の業績も上げられなかったが、竹内さんは利己的遺伝子説によって社会生物学に多大な業績を上げた」とでも言えばいいのか? 馬鹿げている。

「遺伝子は個体を操作する」という発想は、ドーキンスの偉大な業績なのである。私としてもそれを認めるし、それを批判するつもりはない。ただ、私としては、それを少し修正して、間に「本能」というものを挟むだけだ。

で、そういう方針が気に食わないのであれば(つまり、「ドーキンスはそんなことは言っていない」というのであれば)、すべてを竹内さんか私の業績にしてもらいたいですね。
 「遺伝子は個体を操作する」という画期的な発想は、ドーキンスの発想ではなく、竹内さんか南堂の発想である、と、あちこちで書いてもらいたい。私としては、その偉大な業績をちょうだいできるのであれば、まったくありがたく受け取りたいですね。 (泥棒みたいだけど。  (^^); ただし、ドーキンスの業績を盗むのは、私ではなくて、N氏です。)
Posted by 管理人 at 2008年02月02日 00:31
この件は「言った」「言わない」という水掛け論議に似ている。ただし、もっとひどい。
 普通の水掛け論議は、自分にとって「不利」な言明を否定しようとして、「おれはそんなことを言っていないぞ」というふうに弁解する。
 本件の水掛け論議は、ドーキンスにとって「有利」な言明を否定しようとして、「ドーキンスはそんなことを言っていないぞ」というふうに主張する。

 つまり、「遺伝子は個体を操作する」という(社会生物学上の)偉大な業績について、
  ・ 本サイト …… それはドーキンスの業績である。
  ・ NATROM …… それはドーキンスの業績ではない。
 というふうに対比される。

 NATROM 氏はよほどドーキンスの業績を否定したいらしい。だから私がドーキンスの業績に言及するたびに「ドーキンスはそんなことを言っていないぞ。言っているのなら原文を引用せよ」というふうに述べて、あくまでドーキンスの業績を否定しようとする。(よほどドーキンスを憎んでいるのだろう。彼の業績を何が何でも否定しなくてはいられないようだ。)

 なるほど、ドーキンスは私が述べたとおりのことを直接的に言ってはいない。しかし全体としてはそういう趣旨のことを述べているのだ。とすれば、私が簡単にまとめたような業績を上げたのは、まさしくドーキンスである。社会生物学全般を構築するような偉大な業績を上げたのは、まさしくドーキンスであって、日本のどこかのサイエンスライターなんかではないのだ。
 NATROM 氏がどうしてもドーキンスの業績を否定したいのであれば、彼自身が「ドーキンスの文章にはその趣旨が全然見られない」というふうに、はっきりと主張すればいい。誰かの業績を否定したいときには、その原典によるべきだ。
 つまり、彼の言葉は、まさしく彼自身に向けられるべきものなのだ。彼がドーキンス否定論者なのだから。

 一方、私は、ドーキンス擁護論者だ。ドーキンスの主張を、言外の意も汲み取って、多大に評価するとしても、そのことでドーキンスから文句を言われる筋合いはない。むしろドーキンスからは「私は本当はそう言おうと思っていたんですよ。書いていないことを理解してくださって、ありがとう。私の業績を正当に認めてくれて、ありがとう」と感謝されるだろう。

 NATROM 氏がどうしてもドーキンスの業績を否定したいのであれば、彼自身が原典にのっとってドーキンスの業績を否定すればいい。私に矛先を向けるのは、とんだお門違いだ。
Posted by 管理人 at 2008年02月02日 09:15
NATROMさんの文章ちゃんと読んで理解していますか?あなたの理解能力の低さにあきれます。

南堂氏の誤解
利己的遺伝子説を信じる進化論学者は、「男はみんな浮気をするのが当然だ。そうすればたくさんの遺伝子を残せて有利だからだ」と思っている。

というばかげた誤解に対して、原典を持ち出して少なくともドーキンスはそうは言ってないし、もしこう思っている人がいるなら、それは原著の解釈を間違ったダメ進化論学者だといってるだけです。

NATROMさんはドーキンスの業績を否定していますか?いったいどこで?
Posted by 通りすがりですが。。。 at 2008年02月02日 14:05
> 原典を持ち出して少なくともドーキンスはそうは言ってないし、

 こういうのを「揚げ足取り」という。私は別に「浮気の遺伝子」というものが特別に存在している、と言っているわけではない。本当なら「ミツバチの利他的行動の遺伝子」というのを取り上げて例示するべきだが、一般向けにはいきなりそんな特殊な例を持ち出しても唐突だから、比喩的に「浮気の遺伝子」というものを取り上げているだけだ。別に、浮気でなくて、食いしんぼうでも殺人嗜好でも何でも構わない。たまたま一つ例示的に取り上げたことに対して、「その根拠を示せ」などと論じるのは、話を逸らしている。
 私がここで語っているのは「浮気の遺伝子がどうのこうの」ということではなく、利己的遺伝子の発現する形質がある、という点を述べているだけだ。
 「ドーキンスはそうは言っていない」というなら、私だってそうは言っていない。論旨を取り違えないでほしい。

 では、私は何を言っているか? 浮気の遺伝子というようような通俗的な例を用いて、
    遺伝子 → 個体行動
 という因果関係があることを述べている。それだけだ。ここで、個体行動が「浮気」という行動である必要は、さらさらない。何だっていいのだ。話を逸らさないでほしいですね。(ま、浮気というのが、適切な例ではないことは認めるが、ちょっと通俗的に書いただけだ。まったく、シャレのわからない人は困る。)

 ──

 浮気という比喩的な例を取り上げる(例として比喩的に語る)、ということは、普通になされている。それが学術的な厳密な例ではない、ということはわかった上で、あくまでわかりやすい比喩的な説明として用いているだけだ。そんなことは専門家なら誰だって知っている。

 ちなみに、Wikipedia 「利己的遺伝子」から引用しよう。

 ──

 また用いられる比喩が単純なものであったため、ある性質は一対一である遺伝子に結びついているのだ、のような遺伝子決定論的な用いられ方をすることもある。例えば「浮気は浮気遺伝子のせいだ」などである。この誤解は遺伝子の利己性を否定するものだけでなく[5]、肯定するものにも見られる[6]。一つの遺伝子が一つの形質と一対一で対応している事はまれであるから、「○○のための遺伝子」など存在しないといってよく、机上の空論であるという批判もある[7]。
 しかしここで問題になっているのは、ある性質が単一の遺伝子によって決まるかどうかではなく、ある性質が選択(自然選択あるいは人為選択)に掛かるかどうかであり、著者は「○○のための遺伝子」は話を単純化するための便宜的な表現であると本書の中で繰り返し述べている。
 例えばイヌは人為選択の末、人になつきやすいという性質を極端化させてきた。なつきやすさを決める単一の遺伝子など存在しないが、それでも「なつきやすい」という複雑な性質は選択の対象となりうるのである。

 ──

 ドーキンスは「話を単純化するための便宜的な表現であると本書の中で繰り返し述べている。」と語っている。そのことは誰だってわかっているはずだ。もちろん私だって、「話を単純化するための便宜的な表現である」というつもりで、浮気という例を取り上げただけだ。
 ドーキンスを読み直せ、と言いたいですね。
Posted by 管理人 at 2008年02月02日 15:23

 なお、NATROM 氏の元のページから、私の引用文を再度引用すると、次の通り。
 ──

 利己的遺伝子説を信じる進化論学者は、こう主張することが多い。
 「男はみんな浮気をするのが当然だ。そうすればたくさんの遺伝子を残せて有利だからだ」
 こう主張するとき、彼らは自説のどこが間違っているか、わからないのだろう。

 ──

 ここでは、「浮気の遺伝子の有無」というような事実を論じているのではない。浮気の遺伝子なんか、どうでもいいのだ。そもそもそれは「話を単純化するための便宜的な表現である」にすぎない。その証拠を持ち出せ、なんて論じるのは、話の方向がずれている。

 私が上記の引用文で述べているのは、
    遺伝子 → 個体行動
 という因果関係の論旨だ。

 ついでに言えば、上記の引用文は、かなり古い文章で、今後、書き直される必要がある。昔の文章(書き直される予定の文章)を持ち出して、いちいち論じないでほしい。今の時点で論じるのであれば、今の時点で書いたばかりの文章をめぐって論じてほしい。

──

> もしこう思っている人がいるなら、それは原著の解釈を間違ったダメ進化論学者だといってるだけです。
>  NATROMさんはドーキンスの業績を否定していますか?

 自己矛盾をしていることに気づかない典型的な例。
 「NATROMさんはドーキンスの業績を否定していますか?」
 → しているでしょ。すぐ前の文で。つまり、
 「もしこう思っている人がいるなら、それは原著の解釈を間違ったダメ進化論学者だといってるだけです。」
 という文章がそれだ。(理由は以下を参照。)

 ──

 どうも上の人や NATROM 氏は、なんだか勘違いしているようですけどね。
 「男はみんな浮気をするのが当然だ。そうすればたくさんの遺伝子を残せて有利だからだ」
 というのは、基本的には正しいんです。不正確ではあるが、基本的には正しい。「そういうことを主張している人がどこにいるのか?」と聞かれれば、「私自身がそうだ」と答えます。

 そこのところを、全然理解していないようですね。私の書いている文章をつまみ食いしないで、ちゃんと全部読んでください。通りすがりでぶらりと寄って、都合のよいところだけ勝手読みしないでください。
 とにかく、「もしこう思っている人がいるなら、それは原著の解釈を間違ったダメ進化論学者だ」というのは、ドーキンスの成果を否定しています。だいたい、ミツバチの利他的行動を利己的遺伝子で説明したのがドーキンスでなかったら、いったい他の誰がそれをなしとげたんですかね?

 ──

 まとめ。
 NATROM の見解:
 「南堂はドーキンスをよく読まないで、ドーキンスを否定している」

 南堂の見解:
 「私はドーキンスを否定していない。『ミツバチは利他的行動の遺伝子ゆえに利他的行動をなす』というドーキンスの主張を『人は浮気の遺伝子ゆえに浮気をなす』というふうに通俗的に言い換えているだけだ。NATROM 氏は南堂の話を読まないで否定している。」

 ついでに言うが、「遺伝子は個体を操作する」という件について、私は、ドーキンスを基本的には認めている。(私の書いていることを、趣旨とは反対の意味で誤読しないでほしい。)

 また、NATROM 氏の見解については、「NATROM 氏の見解は学術的に間違っている」と論じているのではなく、「私の言ってもいないことを言っていると勘違いしているので、私への批判にはなっていない。ただの誤読である」と述べているだけだ。降りかかる火の粉を払っているだけであって、「NATROM 氏の見解は間違っている」と論じているのではない。「見当違いだ」と述べているだけだ。
Posted by 管理人 at 2008年02月02日 15:24
新たに次のページが公開された。
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080202

 論じるに値しない。ただの悪口の羅列。無意味な悪口にいちいち反論するほどの馬鹿じゃないので、無視します。

 ──

 それよりねえ。ほんの一言でいいから、悪口じゃなくて、学術的な論争はできませんか? 
 例1。
 「遺伝子は個体の行動に影響しない」(因果関係がない)
 たとえば、「妹を育てるという行動をさせる遺伝子のせいで、ミツバチは妹を育てる」と私が指摘して、「それはドーキンスの説だ」と述べたら、「いや、ドーキンスはそんなことは言っていないぞ。そう言ったのは竹内か中原か南堂だ。その業績はドーキンスの業績ではない」と。

 例2。
 「ミツバチの妹の血縁度は 0.75 で、子の血縁度は 0.5 だから、妹を残すことで自分の遺伝子をたくさん残せる」
 と述べた血縁淘汰説および利己的遺伝子説に対して、「そんなことはない」と論証した説( ※ )を否定するとか。
 ※  → http://openblog.meblog.biz/article/281506.html

 こういうふうに学術的に事実関係を論じることはできないんでしょうかねえ?

 ──

 よく考えたら、この人と学術的に論じるというのは、もともと無理なことだと思う。そういうタイプの人じゃないんだから。彼と学術論争をするというのは、2ちゃんねらーと学術論争をするのと同じ。無意味。ただ「氏ね」というような言葉が返ってくるだけ。
 嘘じゃないですよ。彼の
 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080202
 を見てください。要するに、「南堂はトンデモだから、氏ね」という趣旨のことが書いてあるだけ。相手にできません。

 今後、同趣旨の反論が来ても、無視します。学術的な論争にならないので。そもそも学術的な話は一切なされていないので。(文学論争ならばあったが。)
Posted by 管理人 at 2008年02月02日 15:35
そうじゃなくって。。。
それにそれを揚げ足取りに感じるなら、あなたにもその表現に後ろめたさがある(たしかにな、とられてもしかたないな〜、っていうね。)のでは?
であれば、誤解を来すような表現であったと謝罪し、書き直すべきです。だって、あなたは「ちゃんとした」利己的遺伝子説を信じる進化論学者に対して侮辱に近い発現を発振しているのですから。
はっきりいって、こんなんは学問レベルの話ではないし、あなたの倫理観に近いです。
私には、あなたは間違いに気づいても謝れない少年のようにしか写りません。
Posted by 通りすがりですが。。。 at 2008年02月02日 15:45
なお、上記の NATROM 氏のページには、次の文章がある。

>> 誰がそのような主張をしているのか、具体的な引用とともにご教示いただきたい

 と注文をつけているくせに、そのあとでは、次の文章がある。

> 「あとで広がった」といっても、専門家の間ではなく、ブルーバックスを読んだ一般人の間でであり、多くの専門家から「素人はドーキンスを誤解している」と指摘されるような代物です。

ほら、ごらんなさい。私の指摘したのと同じことを、専門家が語っているわけだ。

NATROM 氏は、専門家の見解として、私と同じことを主張していながら、私には「典拠を示せ」と注文して、自分では典拠を示さないで同じことを平気で述べている。
Posted by 管理人 at 2008年02月02日 15:47
ようやく理由が判明した。

彼のページに、こう書いてあった。

> で、多くの専門家が「ドーキンスの説を誤解して」いて、南堂氏が正しく理解しているとする、その根拠は?

 もちろん、私はその根拠を長々と説明しているわけだが、彼は、その根拠に反論するのではなく、その根拠を読みもしていないのだ。

 つまり、私の言っていることを全然読まないで、たまたま目についた言葉尻だけをとらえて、難癖をつけているわけだ。

 なるほど。私の話を読まないで批判しているのだから、私の述べていることとは全然無関係の、見当違いのことに対して批判するのも、うなずける。

 彼、読まないで批判しているんですね。まともに対応して、時間を無駄にしてしまった。相手にしなければよかった。
 彼の言う「南堂」は、彼の脳内の南堂であって、私のことじゃないんだから。
 まったく、相手の話を読みもせずにこれだけの批判を書く人がいるとは、思いもしなかった。びっくり。
Posted by 管理人 at 2008年02月02日 16:00
いろいろと考えてみたら、NATROM 氏という人の考え方に問題がある、という気がしてきた。

 他の箇所でも述べたが、本サイトは、私の考え方を呈示する場所だ。「私はこういうふうに考える」というふうに。
 ところが、彼はこのサイトを「すでに判明した事実を紹介する百科事典」だと思い込んでいるらしい。そこで、「誰がそう言ったのか、その原典を示せ」とばかり、しつこく食い下がる。

 これは、実務家の発想である。
 「ある情報を得たときに、その情報がどのくらい信頼性があるか確認するために、その情報の典拠を求める」
 というわけだ。これは、実務家としては、当然だろう。たとえば、医者ならば、新しい情報を得たときに、その情報の典拠を確認しないと、その情報を信頼できない。

 しかし、学者というものは、そういう発想をしない。むしろ、こうする。
 「従来の見解に対して、自分は新しい見解を出す。この見解が従来の見解とはどう違うかという点を、際立たせて主張する」
 これが学者(研究者)の発想だ。ここでは、その主張が正しいかどうかは、自分自身では判定しない。その判定をするのは、あくまで第三者である。それは、読者かもしれないし、学界かもしれないし、世間かもしれない。とにかく、自分自身では価値判断はしないで、単に新しい説を提出することに専念する。

 ここでは、単に新しい説が提出されただけだ。また、従来の説を紹介するときに、典拠がどうのこうの、ということをいちいち示す必要もない。(それが学界の常識ならば。)
 ここで、読者がなすべきことは、その新しい説に対して、学術的に是非を論じることだ。あくまで学術レベルで論じる。その時点では、正しいかどうかは、まだ未定である。ここではとにかく、新しい説が提出されたということのみに、意味がある。
 これが、学者や研究者の発想だ。

 ここに実務家が登場すると、「その仮説が正しいことの根拠を示せ」と言い出して、議論がメチャクチャになる。彼は「仮説が正しいかどうか」ではなく、「仮説に典拠があるかどうか」を問題にするからだ。
 当然ながら、彼は決して、「その仮説が正しいか」という件については論じない。そもそも、彼はそういうことを論じる意思すらない。彼は、「自分で何かを考えよう」とするのではなく、「信頼できる誰が典拠を与えてくれたか」だけを問題とするからだ。

 というわけで、論争なんか、初めから起こるはずがない。ただ「氏ね」というような言葉が出てくるだけだ。
Posted by 管理人 at 2008年02月02日 16:17
なるほど。おっしゃりたいことはよくわかりました。
学者さんってのは学術的な議論だけで正しいかどうかをつきつめればまずよくって、最初の時点では根拠となる証拠は全然なくていいってことなんですね。論外な意見なら淘汰されるし、正しければ追証されるってことですね。
まあ、個人的な意見では、説を述べるだけなんてアフォーでもできるので、そのまえにきっちり実験なりして証明すればいいのにと思います。証明できない分野であれば、それこそ言いたい放題の分野で全体にきな臭い感じがします。
ちなみに、私が前書いたコメント読みましたか?社会人ならば、誤解を招くような発言は謝罪するのが当たり前ですよ。普通に人間であれば。そんなこともできないようでは、一般人の私からも立派な学者さんとはとっても思えません。
Posted by 通りすがりですが。。。 at 2008年02月03日 11:48
>>> 誰がそのような主張をしているのか、具体的な引用とともにご教示いただきたい
> と注文をつけているくせに、そのあとでは、次の文章がある。
>> 「あとで広がった」といっても、専門家の間ではなく、ブルーバックスを読んだ一般人の間でであり、多くの専門家から「素人はドーキンスを誤解している」と指摘されるような代物です。
>ほら、ごらんなさい。私の指摘したのと同じことを、専門家が語っているわけだ。でも、まともな専門家だったらいくらなんでもそんな誤解はしませんよね。

私が南堂さんに要求したのは、「『男はみんな浮気をするのが当然だ。そうすればたくさんの遺伝子を残せて有利だからだ』などと主張する利己的遺伝子説を信じる進化論学者」の例です。そんな主張をする進化生物学者を私は知りません。どこかのサイエンスライターや「ブルーバックスを読んだ一般人」にはそういう主張をしている人もいるでしょう。そうした誤解を指摘している専門家も知っています。

それから、学問のレベルで論じたいのなら、ブログじゃなく学会なり学術誌なりで発表されてはいかがですか?もしかして、南堂さんは、ご自分が学問のレベルで論じているとでも思っていらっしゃるのですか?まじめに突っ込んだところで、「変人のぼやき」「偏った誇張がたくさん含まれている」「外部の人間のほざいた悪口談義」などと言い訳されて逃げられてしまいそうなのですが。
Posted by NATROM at 2008年02月03日 11:55
> 謝罪する

誰かを名指しして中傷したのなら謝罪しますが、私は特定の誰かの名を上げて批判したことはありません。N氏ならばやっていますけどね。

また、私はN氏に対しては、「氏の間違っているといっているのではない」旨を示しています。
02月02日 15:24 のコメントを参照。

「こんなふうに考える人は頭がどうかしている」というようなことは書きましたが、それは人物への批判ではなくて、批判そのものへの批判です。人間ではなく思考を批判しているわけです。思考への批判が駄目だというのなら、あらゆる論議はできなくなります。

ついでながら、私は

> アフォーでもできる

というような中傷する言葉は使っていません。誤解なきように。
Posted by 管理人 at 2008年02月03日 11:57
特定の人を中傷しないと謝罪じゃないなんて、子供の議論です。つか、利己的遺伝子説を信じる進化論学者は、「男はみんな浮気をするのが当然だ。そうすればたくさんの遺伝子を残せて有利だからだ」、、、は十分特定です。そして誤解を招いています。これに対して「すまん、表現悪かった、書き直す。」くらいのことできないと、あなたの立派な言葉を誰も信じなくなりますよ。
Posted by 通りすがりですが。。。 at 2008年02月03日 12:11
NATROM さんのコメントに答えます。

> 私が南堂さんに要求したのは、「『男はみんな浮気をするのが当然だ。そうすればたくさんの遺伝子を残せて有利だからだ』などと主張する利己的遺伝子説を信じる進化論学者」の例です。そんな主張をする進化生物学者を私は知りません。

 私の話を読んだのですか? 読まないのだったら、何か答えても無駄だと思うのですが。とりあえず、もう一度説明しましょう。
 「浮気」というのは簡単化した比喩的表現です。通俗的な表現をやめて学術的に言えば「ミツバチの利他的行動」です。だから正しく学術的に書き直せば、次のようになります。

『男はみんな浮気をするのが当然だ。そうすればたくさんの遺伝子を残せて有利だからだ』
 ↓
『(ミツバチの)働きバチはみんな妹を育てるという行動をするのが当然だ。そうすればたくさんの遺伝子を残せて有利だからだ』

 わかりましたか? これを唱えたのが誰だかわかりませんか? ドーキンスですよ。ドーキンスがそういうふうに唱えたというのを否定しているのは、私の知る限り、NATROM さんだけです。

>>ほら、ごらんなさい。私の指摘したのと同じことを、専門家が語っているわけだ。でも、まともな専門家だったらいくらなんでもそんな誤解はしませんよね。

ここで「専門家が語っていること」というのは、次のことです。
「ドーキンスの業績は、遺伝子淘汰を比喩的に語ったということだけである。遺伝子が個体の行動に影響する(= 遺伝子が個体を操作する)ということはない」
NATROM さんもそう語っているんじゃないですか? 私についてああだこうだという前に、自分の立場を明らかにしてください。いったい何が主張したいのか、さっぱりわかりません。自分では何も主張しない(自分なりのドーキンス解釈を明かさない)まま、単に揚げ足取りをしているとしか思えません。いったいあなたの考える利己的遺伝子説とは、何のことですか? ドーキンスは比喩以外にどんな業績を上げたというのですか? それを明らかにしてください。

> もしかして、南堂さんは、ご自分が学問のレベルで論じているとでも思っていらっしゃるのですか?

反論ではなくて悪口しか書けないようですね。私が言っているのは、次のことです。
「0.37 は 0.5 よりも小さい」
「生命には寿命がある」
「次世代の遺伝子を残すのでなければ遺伝子を残す意味がない」

 この説に対して、反論をするのならば、喜んで歓迎します。
 しかし、反論するかわりに、ただの罵声を浴びせることしかできないのであれば、本サイトには来ないでください。2ちゃんねるにでも行ってください。
Posted by 管理人 at 2008年02月03日 12:13
誤読する人が多いので、該当ページに注記を加筆しておきました。下記。

 ──
  【 注記 】

 ここで「浮気」というのは、通俗的な例である。話をわかりやすくするために、簡易的に比喩的に表現した。現実には「浮気の遺伝子」という単独の遺伝子はない。
 学術的に言うなら、「ミツバチが自分の妹を育てるという本能の遺伝子」という例を取る方がいい。ただし、そういう言い方だと、厳密ではあるが、頭に入りにくい。「浮気の遺伝子」という話の方が、頭にすぐ入る。
 だからここではあえて、不正確ではあるが「浮気の遺伝子」という言葉で説明した。学問的に考えるときには、「ミツバチが自分の妹を育てるという本能の遺伝子」というふうに、いちいち置き換えて読み直してほしい。

( ※ 「そんなことは、いちいち言われなくてもわかっている」と思う人が多いだろう。しかし世の中、読解力のない人が多いので、ここに念のために注記しておいた。)

 ──
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/class_82.htm
Posted by 管理人 at 2008年02月03日 13:18
注釈はOKだと思います。
でも、上のコメントでご自身で誤読する人が多いと認めてるではないですか!要はあなたの表現がわまずかったのです。世の中に発信してるんですから、みんなにわかって欲しいのでしょ?だったらわかりやすく書かなきゃ。特定の人にだけわかって欲しければ、パスワード込みの掲示板にでもすればいいのです。
上でNATROMさんも書いてますが、読解の学会誌鳴りに載せてくださいね。信頼度グッとあがります。
アフォーって表現はすみません。言い過ぎました。(ね、大人の僕はすぐ謝るでしょ。)ただ、僕は化学系の人間なので、実証は大事にしてます。もし学者って人種がとくに実証もしないで理論だけ言えばいいのなら、誰でも出来るもんですねってことです。私も明日からドーキンス研究学者って名乗って見ようかな〜。
Posted by 通りすがりですが。。。 at 2008年02月03日 14:03
お医者さん向けの話はこちら。

http://openblog.meblog.biz/article/322068.html

(利己的遺伝子説を信じる医師は、怒髪天を突くかもしれないが。……)
Posted by 管理人 at 2008年02月04日 12:53
>「浮気」というのは簡単化した比喩的表現です。

「男はみんな浮気をするのが当然だ」などと主張した進化論学者がいないことが確認できてなによりです。


>「ドーキンスの業績は、遺伝子淘汰を比喩的に語ったということだけである。遺伝子が個体の行動に影響する(= 遺伝子が個体を操作する)ということはない」
>NATROM さんもそう語っているんじゃないですか?

私はそんなことは語っていません。もしかして比喩でしょうか?


>反論ではなくて悪口しか書けないようですね。私が言っているのは、次のことです。

質問をしただけで悪口ととってしまうのですねえ。ブログじゃなく学会なり学術誌なりで発表しないのは、何か理由があるのでしょうか?
Posted by NATROM at 2008年02月04日 20:49
>>「浮気」というのは簡単化した比喩的表現です。
> 確認できてなによりです。

このまえ NATROM さんが質問したときに、すでにその件は記述しました。
今回は NATROM さんに対しては、二度目の書き込みです。本欄で他の人に書いたのも含めれば、三回目の書き込みです。

なお、前回書いたのは、
http://openblog.meblog.biz/article/264778.html

Posted by 管理人 at 2008年01月21日 19:14
のところです。
「本日(21日)に公開予定の項目でも、最後の方で、同趣旨のことを扱います。」
 と書いてあるとおり。すなわち、そこの[ 付記2 ]です。
 「浮気の遺伝子」というものが簡略化された比喩的表現であり、専門家ならばそれを学術的な表現に直して理解できる、とすでに記してあります。

 つまり、私が本欄で説明したことは、すでに 21日の時点で、NATROM さんにお答えしているわけです。
 これからは質問したあとで、私の返答をちゃんと読んでくださることを希望します。

> 何か理由があるのでしょうか?

 第一に、分量が非常に多すぎて、学会誌には掲載できません。一冊の著作になってしまいそうです。
 第二に、最新の情報は、今この時点で書いているその瞬間です。一日ごとに最新の考察が出され、それをブログで書いています。どうしても学界に掲載するまで掲載しないことをお望みでしたら、全文が完結するまで、あと 10年ぐらいはブログに公開できません。それがお望みならば、読者は自分で読まなればいいだけです。
 第三に、私は利己的ではないので、学界での出世というメリットを何一つ望んでおりません。「真実は万人に知られることを自ら望む」という、岩波文庫あたりの文句の方が好きです。
 第四に、学界というものは、新しい学説を受け付けておりません。既存の学説を進歩させた学説ならば受け入れますが、新しい学説というものはトンデモとして扱われます。
 学会に新しい学説を出すなら、その学説を支持する重鎮を見つけることが先決です。もちろん、新しい学説を支持する重鎮などいませんから、ニワトリと卵の関係です。つまり、新しい学説は受け入れられません。メンデルだってそうだったでしょう? 日本でも同様です。
 新しい学説が出された場合には、たいてい、「その出典を明示せよ」と言われ、さもないと、ネチネチと揚げ足取りをされます。まともに正面から学説を論議する人なんか、一人もいませんよ。そのことをはっきりと証明されたのが NATROM さんでしょう? ま、私は、学界の連中とネチネチ論議をするのがイヤなんです。本当はネットでもコメントを受け付けるのもイヤなんですけどね。ま、読者サービスで、無料奉仕しています。やりたくないんだけど。……
 なお、学界だと、この何十倍も攻撃がかかってくるでしょう。(ネット上ならば誰も損失を受けないが、学界だと彼らが打撃を受けるので。たとえば、論文の無価値化。学者にとっては最大の恐怖。)

 まとめて言えば、NATROM さんのおっしゃったとおり。

> もしかして、南堂さんは、ご自分が学問のレベルで論じているとでも思っていらっしゃるのですか?まじめに突っ込んだところで、「変人のぼやき」「偏った誇張がたくさん含まれている」「外部の人間のほざいた悪口談義」などと言い訳されて逃げられてしまいそうなのですが。

 私が真面目に突っ込んだところで、そういう評価しか返ってこないでしょうね。まともに論じる人なんか一人もいませんよ。揚げ足取りが山のように返ってくるだけ。
Posted by 管理人 at 2008年02月04日 21:34
>第一に、分量が非常に多すぎて、学会誌には掲載できません。一冊の著作になってしまいそうです。

えー、それって、単に考えがまとまってないだけでは?うまく短い文章にまとめれないとか?よくいます、ほんとに頭はいいんだけど、どうしても文章にまとめれない人。あんまり落ち込まないでください。短く出来ないなら、くぎって発表もできますよ。どうでしょうか?

>第二に、最新の情報は、今この時点で書いているその瞬間です。一日ごとに最新の考察が出され、それをブログで書いています。

いやー、どんだけ変化するんですか。。。てか、ブログの方は補足補足だらけで、前にほとんどすすでないような気もいたしますが。。。


>第三に、私は利己的ではないので、学界での出世というメリットを何一つ望んでおりません。

それはいいですけど、paperにしてがつんとした方が広まるのでは?

>第四に、学界というものは、新しい学説を受け付けておりません。既存の学説を進歩させた学説ならば受け入れますが、新しい学説というものはトンデモとして扱われます。

うわー、これにはあなたの見方をしたい私も閉口です。というか、がっかりです。いったい、いつの時代の話ですか?んなこといったら、特殊相対性理論など当時としては画期的だった理論がどうしてpaperに残っているのでしょうか?
Posted by あんまり通りすがれてないですが。。。 at 2008年02月04日 23:55
上の「利己的遺伝子説を信じてる医者なんて私は信じない(ということでよろしいですか?)」は、私はちょっと反対です。
人の行動は全て説明できなくてはいけないのでしょうか?お酒が体に悪いって思っててもやめれない人とか、どうしてもやめられない癖がある人とかがいるのと同じように、頭では利己的遺伝子説を信じていながらもお医者さんになってもいいのではないでしょうか?だめなのでしょうか?
Posted by 追加です。 at 2008年02月04日 23:59
駄目だとは言っていません。個人的にどちらを信じるかという問題です。

あなたが瀕死の状態で、病院に運ばれた。あなたは二人の医師から、一方を選べる。ただし、考え方が違う。

医師A「生物の本質は、自己複製である。生物は、遺伝子を増やすことが最も大事だ。生物は遺伝子の乗り物にすぎない。私(の遺伝子)の利益になるのであれば、あなた(の遺伝子)の利益のために働いてあげよう。で、いくら払うの?」

医師B「生物の本質は、個体として生きていることだ。生物は生きていることが最も大事だ。私がいくらか苦労することで、あなたの生命が救われるのであれば、そのために私は最善を尽くそう。たとえ私の利益にならないとしても」

どちらを選ぶかは、その人しだい。どうぞ、ご自由に。
Posted by 管理人 at 2008年02月05日 00:41
>コメントを書いてる皆さん

南堂氏は「町の発明家」と思ってはいかがでしょう?
たまに役に立つものも作るが珍発明もちょくちょくでてきます。
今回の「利己的遺伝子シリーズ」は珍発明だったか?それは皆さんのコメントを見れば明らかかと思います。

>南堂さん
みなさんが指摘したいのは、ぐずぐずの土台の上にたった説は建設的な意見を出す以前の問題だということではないでしょうか?
でも、あなたのファンです。これからもサイトのアップ、楽しみにしてます。
Posted by sumeshi at 2008年02月05日 11:46
> みなさんが指摘したいのは、ぐずぐずの土台の上にたった説は建設的な意見を出す以前の問題だということではないでしょうか?

まったくその通りですね。
どんなに建設的な意見を出しても、従来の発想の外から発想すれば、「ぐずぐずの土台の上にたった説」と見なされ、頭ごなしに否定されます。従来の発想の枠の外から発想すれば、全面否定されるんですよ。まともな学術的な論議は一切なされず、頭ごなしの否定。

> それは皆さんのコメントを見れば明らかかと思います。

まったくその通り。脇道における揚げ足取りばかり。ただ否定することだけが目的。正面からの議論は一切なされない。

ついでですが、私が利己的遺伝子説を否定するときは、真っ正面から理論で否定しています。揚げ足取りなんかしません。0.75 じゃなくて 0.37 だ、とはっきり数字で示しています。
そして、それへの反論は、誰からも一切、ありません。別の点での揚げ足取りがあるだけ。誰もが正面からの論議を逃げている。あるのは論議ではなくて悪口だけ。

誰か一人ぐらい、まともに論議する人はいないんでしょうかね? Nさんあたり、どうでしょうか?
Posted by 管理人 at 2008年02月05日 12:19
世間事情を解説しておきます。

「競争と弱肉強食で状況が改善する」
 という立場は、生物学では「自然淘汰」と呼ばれ、経済学では「社会的自然淘汰」もしくは「市場原理」と呼ばれます。

 生物学でも経済学でも、そういう一派が大多数を占めており、それ以外の人々は圧倒的に劣勢です。で、彼らが経済分野で、自分の思い通りに経済を運営しているから、日本ではワーキングプアの問題があったり、不況がずっと長く続いていたりするわけです。

 ま、こんなことを言っても、「経済学を知らない素人のぼやき」というふうに批判されるのがオチですけどね。世間に順応したければ、私の説なんか読まないで、他人を蹴落とすことに熱中していた方がいいですよ。私の説を読んでも、一文の儲けにもなりません。

 利己的な人は、私の説を信じない方がいいでしょう。社会全体の改善なんか考えないで、自分一人の利益だけを考えていればいいでしょう。
Posted by 管理人 at 2008年02月05日 12:33
人はみんな利己的なんじゃないかな。他人への愛ゆえに行動する人なんかいないよ。誰だって利己的なんだ。多くの人々のコメントを見ればわかるとおりでしょ。NATROMさんだって誰だって、他人を攻撃することが大好きで、愛のある人なんかいませんね。人間はみな愛よりも金なんだ。医者だってそうでしょ。患者への愛なんかあるはずないよ。医は算術という言葉の通りだね。医者は金儲けのためにやっているだけ。患者の命なんかどうだっていい。誰もが利己的なのに医者だけが利己的じゃいけない理由があるんですか? それが現実なんだから、それで仕方ないよね。ドーキンスは現実をそのまま説明しただけ。

NATROMさんの言葉(の言い方)の方が真実を突いていますね。人間というのはみんな攻撃的だし、薄汚いんだし、欲にまみれていんだ。当り前じゃないですか。人々の文章を見ればわかるでしょ。みんな他人を攻撃するのが大好きなんだ。南堂さんのは理想論過ぎて空理空論ですよ。科学というよりは文学だね。だからみんなに批判されるんですよ。この世界は欲深い攻撃的な人々だらけということを理解しなくちゃ。そこで成立するのは利己主義だけなんですよ。現実を理解しないからNATROMさんや他の人々にものすごく攻撃されるんですよ。もっと現実を理解してください。
Posted by 横からですが・・ at 2008年02月05日 13:15
横からですが・・ さんの言うとおりかも。
NATROMさんのブログを見たけど、患者は患者で勝手な注文ばかりしているようだし、医者は医者で患者や市民の悪口を言っているし、どっちも相手を攻撃してばかり。非難の応酬ばかりだから、医学関係には利己的な人々しかいないみたいですね。
横からですが さんの言うことの方が正しいみたいですね。特に医者はそうなのかも。医者は利己的だから医者には利己的遺伝子説を信じる人が多いんじゃないかな。
医者なんて、偽装食品をつくる人たちと同じですよ。患者の命よりも自分の金儲けが大事なだけ。医者に愛を期待するなんて、泥棒に愛を期待するようなもの。医者なんて三分医療で高額の金をふんだくるだけでしょう。そういう医者が有利だから、そういう医者がどんどん増える。それが真実でしょう。
Posted by brown at 2008年02月05日 17:14
あの〜まったくのドシロートの横やりなんですが、医者などの人間的な意味の利己と遺伝子の利己は全然違いますよね?混同してません?

人間の利己:金や名誉など社会的な欲を満たすもの

利己的遺伝子の利己:遺伝子にとって都合良い(増えるor継続?)こと



別件ですが…

遺伝子ってのは「種の継続」主義なんじゃないかと思うんですがそういう説はないんでしょうか?(ドーキンスさんのいう利己は種の継続を指すのでしょうか?)
Posted by sumeshi at 2008年02月05日 17:57
本サイトは医者論議の場ではないので、よろしくお願いします。

遺伝子の意味については、次回の項目で説明します。
Posted by 管理人 at 2008年02月05日 19:31
またおかしなことになっていますね。
議論らしい議論が交わされたようでもありませんし。
私は専門家ではなく、どこが間違っているのか知りませんが、それで全文の主旨が狂うのですかね。それも、間違っているというより、「表現が不適切」なだけなんじゃないですか。
全文の主旨、主題と無関係なところでぎゃあぎゃあ騒いでも、時間の無駄でしょう。

あと、人間が、これほど巨大な文明を手に入れられたのはなぜですか。
日本が、いまなおこれだけの水準にいるのはなぜですか。
自分の身をなげうって社会に貢献してくれた多くの先人達のお陰ではないですか。
もちろん、そんな立派な人達ばかりが先人達だったわけではありませんが。
しかし、そういう立派な行為を思い出せ、自分だけが良ければそれでいいのだということは無いのだという、南堂氏の主張の根底を一切無視し、「そんなのは空論だ」などと、言っていて恥ずかしくないのですか。
耳に痛い言葉は、痛みこそが幻想から覚醒させるだろうという期待をこめた南堂氏の愛というのに、それに開き直って恥ずかしくないのですか。

私もこんなしゃしゃり出るような真似をしてしまい、まったくもって申し訳ないし、恥ずかしい限りです。
Posted by 鈴木 淳 at 2008年02月05日 21:25
遺伝子は遺伝子です。
意味なんて、たいそれたこといいなさんな。
そんなのなんと解釈しようが全部後づけです。

それより南堂さまのA or Bの極論としてしか思えない選択の迫り方が非常に医療従事者としては不愉快です。Aの最後の金は?って表現はなんですか?ひどすぎます。

利己的遺伝子論を理解し信じてても、まあ医者になったし仕事は頑張るべ的な医者はまわりに何人もいますし、その人たちにそんな損かもしれない医者にどうしてなったのって聞いてみたのですが、みんな「人体はおもろいからね〜」的な反応でした。

上の方も行ってますが、遺伝子や理念と行動は全然別でもいいのではないでしょうか?それともAさんみたいなのは、南堂さま的に比喩しすぎた極論ってことでいいでしょうか・

あと、ここは医者論議の場ではないなんて、リンクまでつけといて話題を振っておいて、逃げるなんてひどい話です。

個人的にはおもしろくとっつきやすい話なんで、もっと議論したいです。
Posted by ikashi at 2008年02月06日 01:20
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

  ※ コメントが掲載されるまで、時間がかかることがあります。

過去ログ