2006年10月01日

◆ ドーキンス説をめぐる無駄論議1

 ドーキンスの論議があったので、前項から移転した。
 
 本項は、コメントのみがある。

 参考文書は、こちら。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/class_82.htm

   ※ 現在のこのページ(Openブログ)をご覧になっている方は、必ず、
     上記のページをご覧ください。少なくとも、冒頭の[ 要約 ]をお読み
     ください。
     現在のこのページだけをご覧になっても、とんでもない勘違いを
     するだけです。
     (以下のコメント欄にあるのは、勘違いゆえの騒ぎです。)
posted by 管理人 at 07:24| Comment(26) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
南堂さん、はじめまして。
 いつも政治経済批評を楽しませてもらっています。
確かに天皇の男子優先を是とする「宗教」をY染 色体という「科学」によって正当化するという議論は噴飯モノですね。
 自分の信仰に過ぎないものを、信仰であるというだけでは満足できずに科学を自分の信念のダシに使うなどトンデモない発想です。信仰なら信仰だと素直に認めたらよいのです。

 さて、南堂さんは、ドーキンズの利己的遺伝子説に言及されておられますが、ここはちょっと誤解があるのではないでしょうか。
 すなわち「利己的遺伝子」という概念は、「遺伝子は、自分を遺伝子として持つ個体の繁殖に、より成功したモノが繁殖する(ことによって遺伝子としての多数派をしめる)」という、言っていれば論理的なトートロジーのことを言います。

 ですから、「親が子をかわいいと思う」あるいは「愛する恋人同士が自分たちの愛の結晶として子を作りたいと思う」のも利己的遺伝子の考え方で説明できます。
 つまり、遺伝子のうち、その遺伝子を持つ個体の脳をして「自分の子がかわいい」と思わしめるような脳を構成することに成功した遺伝子は、自分を細胞内に持つ個体が、まさに自分の子をかわいいと思うがゆえに、自分の子を安全に育成し、子孫を残しやすくなるので、その結果として、その固体の子孫の細胞に含まれる「自分と大変よく似た遺伝子」を繁殖させることができるので、結果的に遺伝子としての多数派になるわけです。
 これがドーキンズのオリジナルの「利己的遺伝子」の考え方です。
 これに対して、トンデモなのは、ドーキンスの考えを捻じ曲げて紹介した日本の某氏(女史)であって、利己的遺伝子の考え方(これはトートロジー)が間違っているわけではないと思います。
Posted by Stromdorf at 2006年10月03日 00:40
いつも楽しく記事を読ませていただいております。
「愛の結晶」と言う本投稿の主旨とはずれますが。。。雑感を書かせていただきます。

本日代理出産の記事で思いついたことを一言ですが。
生みの母ではなく種が重要との判例が出ると、代理母のビジネスと言うのもありなんだなぁと思いました。

かく言う私の妻も「妊娠期間10ヶ月がないならもう一人欲しい」と言うようなことを言っております。

忙しい日本の女性には重宝がられるかもと思ってしまいました。
でも母となるための10ヶ月の重みも金で代替できるとなると親の尊厳はもう風前の灯ですね。。。(父親の尊厳はもうない前提ですが・・・^^;)
Posted by 通りすがりです at 2006年10月03日 01:18
>>男が妊娠させた女に、中絶させたがるのはなぜか? 
そんなこと決まっているじゃ有りませんか
自分の将来がぼろぼろになるからです

ここで中絶を要求する男は
1.既婚者
2.縁談が進んでいる
でしょう
未婚者だったらできちゃった婚になりますからね

ここで他での妊娠がばれた場合
縁談の段階なら破談になるでしょうし
結婚していたら、離婚問題になるでしょう
破談になるならともかく離婚になれば
男のほうに原因があるわけですから
その財産の大半を慰謝料としてもってい
かれるでしょうね
(下手すりゃ身ぐるみ剥がされます)
そして仕事も失いかねません
職種にもよるでしょうが、離婚者に社会は
厳しいですから閑職に回され止めさせる方向に
もっていかれます

こう考えると「父親の義務」などは単なる
言い訳にしか思えませんね
Posted by ふーちゃん at 2006年10月03日 11:35
管理人です。三人のコメントに対し、お答えします。

> でも母となるための10ヶ月の重みも金で代替できるとなると

 本文では言及しませんでしたが、この点について一言。

 これは、科学面とは別で、倫理面の問題です。
 その是非を問う場合には、次のようにする可能性が高くなりそうです。

 「女性本人の子宮がない場合に限って、代理母を認める」
  ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 向井亜紀の場合は、子宮がなかった。それゆえ、代理母を使わざるを得ませんでした。
 一般の人(子宮がある人)の場合、「代理母を使いたい」と申請したら、「子宮を削除せよ」という要求が出そうです。
 つまり、「子の出生届を受理しよう。そのかわり、今からでも遅くはないから、あんたの子宮を削除しなさい。それがイヤなら、出生届は受理しません。どっちにするかは、ご自由に決めて下さい」と。

 私がこれが合理的かもしれない、とも思います。さもないと、代理母が蔓延しそうですからね。
 しかし、代理母が蔓延するのが良いか悪いかは、何とも言えません。「それでもいい」という倫理判断が出る可能性もあります。「金で他人の子宮を買う(借りる)」というわけ。その場合は、臓器売買も蔓延しそうです。(合法化されて。)

 私としては、「将来、人工子宮ができたら、それを利用することは認める」というふうにするのがいい、と思いますが
 とはいえ、倫理問題・社会問題は、科学とは違って ○× がはっきりしないので、私としては、特に一つの見解を主張することは差し控えます。

 私が女性だったら? 
 代理母をさせる立場なら、賛成です。
 代理母をさせられる立場なら、反対です。
 誰だってそう思いますよね?  (^^);

 (だけど……ものすごい高額のお金をもらえるなら、代理母になってもいい。百万円じゃいやだけど、一億円ならいい。)

 ───────

>>男が妊娠させた女に、中絶させたがるのはなぜか? 

 ここでは、「なぜ」という理由を知りたいのではありません。
 「遺伝子を増やすのが目的なら、中絶させたがらないはずだ。なのに、中絶させたがる。それは変だぞ」
 というふうに、反語の形で述べているのです。
 「なぜ」への理由そのものは、何であっても構いません。

 なお、

> 未婚者だったらできちゃった婚になりますからね

 というのは、プレイボーイには、当てはまりません。プレイボーイは結婚しないで、逃げまくります。利己的遺伝子説では、誰もがそうするはずなんですけどね。(それが上記の言いたいこと。)

 ─────

> ドーキンズの利己的遺伝子説

 新たに解説ページを作ったので、そちらを参照して下さい。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/class_82.htm

 また、次項(個人と全体)も参照。
Posted by 管理人 at 2006年10月03日 20:16
解説ページ読ませてもらいましたが、まだ誤解があるように思います。

>「たくさんある利己的な遺伝子が別々の行動を促すので、一つの個体の行動に相反が生じる。」
> たとえば、次の例がある。

>妊娠を認める   → 育児の責任があるので、もはやあちこちで浮気できない
>妊娠を認めない → このあとあちこち浮気できるが、当面の繁殖に失敗する
> つまり、「父親としての意識」は、育児の負担を考えるが、「スケベ男としての意識」は、育児の負担を考えない。この二つは、矛盾する。

 これは「矛盾」ではないと思います。
 単に「妊娠を認める」傾向を発現する遺伝子と「妊娠を認めない」傾向を発現する遺伝子が子孫残しゲームを競ったとき、どちらがより多く子孫を残すか競争するだけのことであり、より子孫を多く残すことに成功した遺伝子の方が多数派を占める、それだけのことです。もし勝負がつかない、すなわちどちらも子孫の残す度合いに決定的な差がなければ、どちらの遺伝子も生き残る、というだけです。
 これもやはり「利己的遺伝子」概念の範疇の話です。

 それから主題からはそれますが、「育児の責任があるので、もはやあちこちで浮気できない」というのは「責任感」を持っていることが前提になりますが、この「責任感」を持つか持たないかは、遺伝子だけでなく、ドーキンズの言うミーム(社会的な規範が遺伝子と同様に利己的に振舞う)としても考慮すべき概念であると思います。
 ともあれ、遺伝子であれ、ミームであれ、それが「利己的」というのは上で説明したように、「自分を乗せた乗り物を繁殖させることに成功したものが繁殖する」というトートロジーの概念であることに変わりはありません。
Posted by Stromdorf at 2006年10月05日 00:47
Stromdorf さんのご趣旨は、やはり、解説ページを読んでいないものと思えます。

>「妊娠を認める」傾向を発現する遺伝子と「妊娠を認めない」傾向を発現する遺伝子が子孫残しゲームを競ったとき、

ということは、ありえません。なぜなら一つの個体に複数の遺伝子が存在するからです。

利己的遺伝子説では、Aと対立遺伝子aとが競合します。有利なものが増え、不利なものが減ります。

クラス進化論では、複数の遺伝子が競合します。
Aは同じ環境でB、C、Dなどとも競合しますが、これらはAの対立遺伝子ではないので、「有利なものが増える」ということは成立しません。

たとえば、子育てをしたがる遺伝子と、スケベ心の遺伝子は、まったく別の遺伝子ですが、同じ行動において競合することがあります。

利己的遺伝子説は物事を単純化しすぎているのです。「一つの個体には一つの遺伝子しかない」と考えているのと等価。それでは現実の行動(葛藤の生じる行動)を説明できません。

とにかく、核心は、(進化モデルにおいて)「一つの個体に遺伝子がいくつあるか。一つか、複数か」ということです。

利己的遺伝子説を肯定するのであれば、「一つの個体には遺伝子が一つしかない(複数であってはいけない)」と主張しなくてはなりません。そこがクラス進化論との違いです。

ついでですが、自然淘汰についての理解は、どちらも同様です。議論は対立していません。

こういうことを、例の解説ページに書きました。
Posted by 管理人 at 2006年10月05日 01:14
もう少しわかりやすく説明しましょう。具体的な例で示します。

「男は女をレイプするか?」
この問題を扱います。

利己的遺伝子説:
「女をレイプする遺伝子をもった男(性欲の強い男)は、子孫を多く残して、有利だ。ゆえに、男はみんなレイプするようになる」
では、その理由は? 「性欲が強い/性欲が弱い」という対立遺伝子だけを考えているから。(一通りの遺伝子)

クラス進化論:
「男の遺伝子には、レイプをしたがる遺伝子(性欲の強い遺伝子)のほかに、相手への思いやりをもつための遺伝子や、子育ての負担を考える損得心をもつための遺伝子など、さまざまな遺伝子が複合的に働いている。個体の行動を決めるのは、ただ一つの遺伝子ではなくて、たくさんの遺伝子だ。それぞれの遺伝子が、プラスにもマイナスにも働く。ある男は、性欲が強くでレイプするが、ある男は、思いやりゆえにレイプしない。──ゆえに、単純に、『性欲の強い男は遺伝子を多く残すので、みんな性欲が強くなり、みんなレイプする』ということは成立しない」

この二つの説では、一つの行動に関与する遺伝子が、「一つか複数か」という違いがあります。

一般に、個体の行動を決めるのは、一つの遺伝子ではなく、複数の遺伝子です。ゆえに、「(一つの・それぞれの)遺伝子が個体を操作する」という利己的遺伝子の発想は、根源的に成立しないのです。
Posted by 管理人 at 2006年10月05日 01:37
>利己的遺伝子説:
>「女をレイプする遺伝子をもった男(性欲の強い男)は、子孫を多く残して、有利だ。ゆえに、男はみんなレイプするようになる」

 ここが違います。
 「女をレイプする遺伝子を持った男が子孫を残すのに有利であれば、その遺伝子は多数派を占める」
というのが利己的遺伝子です。

 ですから、もし現実にレイプする遺伝子が多数派を占めていないとすれば、それは子孫を残すのに有利にならない、他の何らかの理由があったからです。
 それは何かというと、例えば、考えている種においては、オスが孕ませたメスの子のケアにある程度寄与しているとすれば(人間などまさにそうですね)、メスの遺伝子にとっては、レイプ魔は次々に他のメスに「浮気」していきますから、レイプされるのはメスの遺伝子にとっては不利です。また、他のオスも、自分の「許婚」がレイプされれば不利になるので、例えば「徒党を組んで(他のオスと結託して)」レイプ傾向のあるオスを社会から排除しようとします。
 遺伝子が子孫を残すのに有利か不利かは、このような「環境」に依存します。そして、遺伝子がこのような「環境(他の遺伝子が作る環境も含む)」も「斟酌」して「利己的」に振舞う、というのが利己的遺伝子の考え方なわけです。

 さて、南堂さんのクラス進化論では「個体の行動を決めるのは、ただ一つの遺伝子ではなくて、たくさんの遺伝子だ。それぞれの遺伝子が、プラスにもマイナスにも働く。」とのことですが、ドーキンスもまさにそのように主張しているのです。
 「個体」の方に注目すれば、その生存に複数の遺伝子の「利害」が関与しているのは当然です。
 ところが、「遺伝子」の方に注目すれば、その遺伝子を乗せている「個体」がまず問題になります。主語を「遺伝子」にして現象を解説しているのが「利己的遺伝子」の考え方なので、その考え方の中には「他の遺伝子の作った環境」も当然斟酌されるわけです。
Posted by Stromdorf at 2006年10月05日 06:52
レスの順番が前後しますが…

>>「妊娠を認める」傾向を発現する遺伝子と「妊娠を認めない」傾向を発現する遺伝子が子孫残しゲームを競ったとき、

>ということは、ありえません。なぜなら一つの個体に複数の遺伝子が存在するからです。

 ドーキンズの利己的遺伝子の考え方においては、もちろん他の複数の遺伝子が当該遺伝子の繁殖の有利不利に影響を及ぼすことは当然考慮しています。

>たとえば、子育てをしたがる遺伝子と、スケベ心の遺伝子は、まったく別の遺伝子ですが、同じ行動において競合することがあります。

についても同様で、ドーキンズの理論では当然に織り込み済みです。
 利己的遺伝子の概念を単純化しすぎて理解しているのは、実は南堂さんの方です。
 ですから、南堂さんが私の発言をこのように理解しているということは、南堂さんの方が私の主張やドーキンズの本を誤解しているということになります。
Posted by Stromdorf at 2006年10月05日 07:07
管理人 です。
 Stromdorf さんの主張はどう考えても私の主張を誤読しています。

 まず、物事の根源をいいます。
 「南堂さんの方が私の主張やドーキンズの本を誤解しているということになります。」
 誤読しているのではなくて、理解した上で、批判しているのです。ドーキンス説を批判しているのであって、誤読しているのとは違います。「理解していないから対立する」のではなくて、「理解した上で対立する」のです。
 Stromdorf さんの主張は、まず「ドーキンス説は絶対的に正しい」と前提しています。そのせいで、それに対する批判を「誤読している」とか「トンデモだ」とか感じるのです。自説が完全に正しいと思い込んでいるので、自説のどこを批判されているかを理解できないのです。
 したがって、まずは「自説は完全ではない。どこかに穴があるのだ。その穴を指摘されているのだ」というふうに、態度を変える必要があります。態度を変えないと、批判が耳に入りません。実際、Stromdorf さんの耳には、私の主張がまったく届いていません。馬耳東風です。私の主張とは別のことばかりを批判していて、私の主張が何を言っているかがちっとも耳に届いていません。

 ──

Stromdorf さんの主張は、「遺伝子が環境しだいで増減する」ということであって、それは自然淘汰の発想そのものです。自然淘汰の是非については、私は論じていません。
 つまり、自然淘汰を「非である」と主張していません。なのに「非である」と主張していると勝手に思い込んで、勝手に「非でない」と論じています。
 私としては論じていないことについて、「こう思っているのだろう」と勝手に推定されても、身に掛かった火の粉みたいなもので、迷惑な疑いです。
 「増えるものは増えると言っているだけだ」という主張(自然淘汰)については、「そうでしょうね」と答えるしかありません。私は自然淘汰を否定していないのですから。(例の文書を参照。)

> それぞれの遺伝子が、プラスにもマイナスにも働く。」とのことですが、ドーキンスもまさにそのように主張しているのです。

 違います。ドーキンスは、一つの自然選択に対して、一つの遺伝子だけを考慮しています。そのような条件を複数考えているだけです。
 比喩的に言うと、ドーキンス説では、一つのコップに一つの遺伝子が入っています。そういう状況を複数のコップで考慮しているだけです。……この場合、一つの遺伝子の優劣が、コップの優劣につながります。すると、
 「(一つの)遺伝子が個体を操作する」
 「個体は遺伝子の乗り物である」
 という結論が生じます。

 クラス進化論では、一つのコップに複数の遺伝子が入っています。通常、2万個以上入っています。この場合、一つの遺伝子の優劣が、コップの優劣につながりません。したがって、
 「(一つの)遺伝子が個体を操作しない」
 「個体は遺伝子の乗り物ではない」
 という結論が生じます。
 こうして、ドーキンス説の「個体は遺伝子の乗り物である」という結論が否定されます。……このことが私の主張です。自然選択の否定ではなく、「(一つの)遺伝子が個体を操作する」ということを否定しているのです。
 ここでは、ドーキンス説を全否定しているのではなく、部分否定しているのです。勘違いしないように。その「部分」とはどうであるかを、理解してください。どこをどう否定しているかを、理解してください。

 もっとはっきりした例を示しましょう。例のページの後半に追加した「不適者残存」を参照。
 → http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/biology/class_82.htm#nonfit
Posted by 管理人 at 2006年10月05日 19:59
何かしらお話がすれ違っているようなところに横槍を入れるようで恐縮ですが・・・

管理人さんがおっしゃる「不適者残存」については,すでにメンデル式遺伝法則の考え方で説明できていると思います。
仮に,ある行動の発現が2つの遺伝因子の組合せによる場合だと,その行動が生存に不利であっても,その遺伝因子の組合せをもった子孫は確率からいってなくなることはありませんから。
Posted by 良寛 at 2006年10月05日 23:48
> ある行動の発現が2つの遺伝因子の組合せによる場合

 それは不利な形質が発現しない場合で、特殊な場合ですね。話の対象外です。

 不利な形質が発現しても、淘汰されない、というのが、不適者残存の眼目です。

 細かい話ですが……
 数値的に言えば、残存確率(≒有利さの度合い)が、個体数の増減にともなって可変的に変化する、ということです。
 形質が同一でも、残存確率が変化してしまうのです。
 たとえば、肥満という体型の遺伝子は、数が多いときには急激に減りますが、いったん少数派になってしまうと、その先ではなかなか減りません。そういうことを言っている。
Posted by 管理人 at 2006年10月06日 00:33
> Stromdorf さんの主張は、まず「ドーキンス説は絶対的に正しい」と前提しています。

 ドーキンス「説」って何でしょうか?
 「利己的遺伝子」という言葉は、「遺伝子は、それを乗せた個体が繁殖することにより多く成功したものが多数派になる」というトートロジーを擬人的に表現した、いわば「ものの見方」のことであり、「仮説」ではありません。
 南堂さんは、これを「説」とみなしている時点ですでにドーキンスの主張を誤解していることになります。

> したがって、まずは「自説は完全ではない。どこかに穴があるのだ。その穴を指摘されているのだ」というふうに、態度を変える必要があります。

 ドーキンスの主張の中に、何らかの「仮説」を強引に読み取ろうとするから「穴がある」ように見えるだけで、トートロジーに穴があるはずはありません。

 繰り返しますが、「利己的遺伝子」という概念は、“ある遺伝子が、その遺伝子を「乗せている」個体にAという性質を発現する能力を持つとき、この性質Aが繁殖に有利なら、当該遺伝子は遺伝子プールの中で多数派を占める”という主張に過ぎません。
 ですから、もしある遺伝子が遺伝子プールの中で多数派を占めていることが観察された場合は、その遺伝子が発現させる性質が繁殖に有利だったという結果が必然的に得られます。しかしその理由までは「利己的遺伝子」の原理は関知しません。


 ですから、もしこの「利己的遺伝子」概念に問題があるとすれば、それは、実際にある遺伝子が多数派を占めていることが明らかになった場合に、「なぜAという性質が繁殖に有利なのか」という理由までは教えてくれない、という一点にあります。
 つまり、性質Aがどういうメカニズムで繁殖に有利になるのかを解明するには「利己的遺伝子」という原理は役に立たず、個別に理由の解明が必要だ、ということです。
 南堂さんが、「利己的遺伝子」について、まさにこの弱点のことを指摘しているなら天晴れですが、残念ながら、南堂さんの誤解は、進化論に対するよくある誤解の典型的な一つのパターンに過ぎないのです。
 もしご自身の考え方に自身がおありなら、進化論に関する有名なサイト↓

http://6609.teacup.com/natrom/bbs

で一度自説を披露されることをお勧めします。
Posted by Stromdorf at 2006年10月06日 00:40
> つまり、自然淘汰を「非である」と主張していません。なのに「非である」と主張していると勝手に思い込んで、勝手に「非でない」と論じています。

 これは違います。私は南堂さんが“自然淘汰を「非である」と主張している”とは思っていません。ですから当然そのような主張をしているとして批判してはいません。
 ただし、南堂さんは「ドーキンスの利己的遺伝子の考えは間違っている」と主張しています。
 私はその「利己的遺伝子の考えは間違っている」という主張を批判しているだけです。
Posted by Stromdorf at 2006年10月06日 00:51
(1) 直前の分への返答
 やはり私の主張を誤読している、としか思えません。
 「ドーキンス説はトートロジーにすぎない」
 という点が間違っている、というのが私の主張です。

 「増えるものは増える、というのはトートロジーだ」
 というのが、よくある見解です。残念ながら、それは違います。そのことは次のことからもわかるでしょう。(前出のコメントを参照)
 「肥満体型は、多数派のときは減るが、少数派のときは減らない」
 肥満体型は、多数派のときには「不利だから減る」ですが、少数派のときには「不利であっても残る」というふうになります。ここで、多数派のときと少数派のときで、「不利」という形質が変わるわけではありませんが、減り方は変わります。
 つまり、「減るものは減る」というふうにならないのです。残存率が可変的に変化するのです。

 「減るものは減る」というのは、トートロジーではありません。それは「減るもの/減らないもの」というふうに、物事を固定して認識する、硬直した発想です。
 世の中には、「最初は減るが、後では減らない」というものがあります。肥満体型も同様。なのに、「減るもの/減らないもの」というふうに二分して考えているところに、論理ミスがあります。

 ドーキンス説を「トートロジー」と考えている点で、どうしようもない論理ミスを犯しています。それは物事を白黒で判断する、という硬直的な発想です。
 世の中には白黒のつかないものがある。白から黒に変化するものがある。なのに、「白いものは常に白い」という命題を「トートロジーだから真実だ」と思い込んでるのが、多くの進化論者です。彼らは「白いものがやがて黒くなることもある」という真実を理解できないのです。

 結局、「減るものは減る」というのは、トートロジーでもなければ、真実でもありません。たとえば、私のおなかは減るものですが、いつも減っているわけではなく、減ったり減らなかったりします。(冗談半分。)
 肥満体型の遺伝子で言えば、最初は減るが、あとで減らなくなります。残存率が可変的に変化します。ここでは、「減るはずのものが減らない」というふうになります。
 「減るものは減る」というのは、残存率が可変的に変化することを無視した、ただのたわごとです。トートロジーでもなければ、真実でもありません。

 (2) 以前の分への返答
 揚げ足取りみたいなので気が進まないのですが、以前の分について、一応、ちゃんとお答えする必要があると思うので、記しておきます。

以下は引用
──
 ですから、もし現実にレイプする遺伝子が多数派を占めていないとすれば、それは子孫を残すのに有利にならない、他の何らかの理由があったからです。
 それは何かというと、例えば、考えている種においては、オスが孕ませたメスの子のケアにある程度寄与しているとすれば(人間などまさにそうですね)、メスの遺伝子にとっては、レイプ魔は次々に他のメスに「浮気」していきますから、レイプされるのはメスの遺伝子にとっては不利です。また、他のオスも、自分の「許婚」がレイプされれば不利になるので、例えば「徒党を組んで(他のオスと結託して)」レイプ傾向のあるオスを社会から排除しようとします。
──

 第1文の
「ですから、もし現実にレイプする遺伝子が多数派を占めていないとすれば、それは子孫を残すのに有利にならない、他の何らかの理由があったからです。」
 というのは正しい。ただし、「何らかの理由」が問題です。それは、「遺伝子の形質」ではなくて、「自然淘汰そのものが十分に働かない」ということです。そのことは、例の文書の後半の趣旨からわかります。

 第2文は、ほとんど冗談ですね。
 「レイプされるのはメスの遺伝子にとっては不利です」
 これは、「レイプされるのはメスがレイプされることを許可したからだ」という趣旨ですが、冗談でしょう。また、
 「徒党を組んで……排除しようとします」
 これもありえません。大多数がレイプ魔であるのに、大多数が徒党を組みはずがありません。
 実は、チンパンジーはみんなレイプ魔みたいなものです。乱交状態だし。こういうふうにレイプ魔だらけの生物社会というのは成立します。

 なお、誤解を避けるために解説しておきます。
 私の言っていることの趣旨は、「単一の遺伝子の優劣だけで論じるな」ということです。レイプの遺伝子のような単一の遺伝子の優劣だけを考えるのではなくて、複数の遺伝子の総体としての個体について優劣を考えるべきだ、と主張しています。
 ドーキンス説にどうしてもこだわりたいのなら、「ドーキンス説で説明できる」というふうに釈明するのではなくて、「単一の遺伝子だけを考えたい」「複数の遺伝子を同時に考えるのはやめたい」というふうに主張する必要があります。
 何を主張するかについて、間違えないでください。
Posted by 管理人 at 2006年10月06日 01:13
> 違います。ドーキンスは、一つの自然選択に対して、一つの遺伝子だけを考慮しています。そのような条件を複数考えているだけです。
> 比喩的に言うと、ドーキンス説では、一つのコップに一つの遺伝子が入っています。そういう状況を複数のコップで考慮しているだけです。……この場合、一つの遺伝子の優劣が、コップの優劣につながります。

 やはり南堂さんはドーキンスの主張を誤読しています。一つの遺伝子は、それが発現する性質が別の遺伝子にとっては(淘汰圧を生成する)環境の一部を成します。つまり、発現する性質という環境への働きかけを通じて遺伝子同士は関連しあいます。そういう意味で、各遺伝子は、「別々のコップに入っている」のではなく、いわば「同じコップの中で影響を及ぼしあって」います。
 そういう意味では南堂さんの主張と同じなのではありませんか?
 だとすれば、ドーキンスの主張は南堂さんの主張と矛盾するところはないのであって、「ドーキンスの主張が誤りである」というのは、やはり南堂さんの誤解と言わざるを得ません。
Posted by Stromdorf at 2006年10月06日 01:14
> 南堂さんの主張と同じなのではありませんか?

 この点を説明するために、新たに加筆しました。例の文書の最後の「テスト」以後の文章をご覧ください。

 その直前でも説明しているとおり、「相殺」という概念が重要です。
Posted by 管理人 at 2006年10月06日 01:23
> 「肥満体型は、多数派のときは減るが、少数派のときは減らない」

 これは、「多数派にならない」例でしょう?
 それでは反論になりません。
 利己的遺伝子の考えによれば、「肥満体系の遺伝子が、もし多数派を占めているならそれは生存に有利だからである」という主張ですよ。
 ところが、肥満体系は、現実に多数派を占めていないのですから「利己的遺伝子」の反例にはならないではありませんか?

> 世の中には白黒のつかないものがある。白から黒に変化するものがある。なのに、「白いものは常に白い」という命題を「トートロジーだから真実だ」と思い込んでるのが

 お言葉ですが、これはトートロジーではありません。「今白いものは、今白い」ならトートロジーですが。

> 第2文は、ほとんど冗談ですね。
> 「レイプされるのはメスの遺伝子にとっては不利です」
> これは、「レイプされるのはメスがレイプされることを許可したからだ」という趣旨ですが、

 どうしてそういう趣旨になるんですか?理解に苦しみます。当然、「メスにとってはレイプされると不利だから、レイプを拒否(回避)しようとする遺伝子が遺伝子の繁殖にとって有利になるので、そのような遺伝子が多数派を占める」という趣旨ですよ。

> 「徒党を組んで……排除しようとします」
> これもありえません。大多数がレイプ魔であるのに、大多数が徒党を組みはずがありません。

 これも、「大多数がレイプ魔である」というところが偽な命題なので、成り立ちません。

 南堂さんの反論は、どうもいちいち理解に苦しみます。
Posted by Stromdorf at 2006年10月06日 01:26
誤読のポイントを指摘しておきます。

> ただし、南堂さんは「ドーキンスの利己的遺伝子の考えは間違っている」と主張しています。
> 私はその「利己的遺伝子の考えは間違っている」という主張を批判しているだけです。

 私が「ドーキンスの利己的遺伝子の考えは間違っている」と批判しているときには、「遺伝子の増減」という点については批判していません。そこを勘違いしないでください。ドーキンス説の全否定ではないのです。

 新しいコメントで言うと、

> 肥満体系は、現実に多数派を占めていないのですから「利己的遺伝子」の反例にはならないではありませんか?

 これも同様。ドーキンス説の全否定ではないのです。勘違いしないでください。「ドーキンス説は完全に間違った理論だ」と述べているわけではありません。

 たとえば、「ドーキンス説は間違いだから、進化は起こらない」というふうに進化論を否定しているわけではありません。また、「遺伝子の増減が起こらない」というふうに否定しているわけでもありません。

 どうも、「南堂はドーキンス説を全否定している」と考えた上で批判しているようですが、それは完全な誤解です。私は全否定しているわけではありません。特に、増減の部分は、基本的には否定していません。

 ────

私が否定しているのは、「増減の単位は、遺伝子ではなくて、個体だ」ということです。遺伝子が増減するのではなく個体が増減する、と言っているのです。──この点を、先の「テスト」以降の箇所で説明しました。一度、ドーキンス説とクラス進化論のどこが違うかを、はっきり理解してください。

図で示すと、次の通り。

■■■■□□  …… ドーキンス説(利己的遺伝子説
■■■■◇◇  …… 南堂説(クラス進化論)

両者の異同は:

■■■■ という部分(自然淘汰)は同じ。
□□,◇◇ という部分(自然淘汰の対象)は、異なる。

南堂説を批判するなら、「◇◇は間違っている」と主張しなくてはなりません。

しかるに、「南堂説はドーキンス説を否定しているから、■■■■を否定している。それは間違いだ」というふうに主張しては、ピンボケとなります。見るべき箇所を勘違いしています。□□,◇◇ という部分を見るべきなのに、■■■■を見ています。

 とにかく、◇◇ という部分では、こう述べています。
 「(遺伝子の)増減の単位は、遺伝子ではなくて、個体だ」
 「遺伝子の淘汰が起こるときには、遺伝子淘汰という原理ではなくて、マトリックス淘汰という原理で、淘汰が起こる」
 これがクラス進化論の核心です。これ以外のことを論じても、無意味です。

 クラス進化論は「遺伝子淘汰」という概念を否定しますが、ここでは「遺伝子の優劣による増減」ということを否定しているのではありません。勘違いしないように。
 単一の遺伝子で増減が起こるのではなく、遺伝子セットで増減が起こるのだ、と主張しています。
 論点を勘違いしないでください。
Posted by 管理人 at 2006年10月06日 01:49
> クラス進化論は「遺伝子淘汰」という概念を否定しますが

 それなら、「利己的遺伝子」の一番本質的な部分を否定していることになります。

> 単一の遺伝子で増減が起こるのではなく、遺伝子セットで増減が起こるのだ、と主張しています。

 「単一の遺伝子で増減が起こるのではなく」という箇所が問題です。利己的遺伝子というのは、各遺伝子を主語にして述べているのですから、個々の遺伝子の増減に注目します。個々の遺伝子に注目している以上、個々の遺伝子に増減が起きるのは当たり前です。
 ただ、その際、他の遺伝子も増減の道連れにすることは当然あり得ますが、それは利己的遺伝子の主張に反するものではありません。
 繰り返しますが、利己的遺伝子の概念は、個々の増減が起きる「メカニズム」を説明しているのではないのです。
Posted by Stromdorf at 2006年10月06日 02:02
ようやく意見が収束してきたようですね。すぐ上のご意見については、ほぼ同意できます。

> 個々の遺伝子の増減に注目します。個々の遺伝子に注目している以上、個々の遺伝子に増減が起きるのは当たり前です。

 その通り。だから、「個々の遺伝子に着目するな。それだけでは足りない。むしろ、遺伝子セットに着目せよ」というのが、クラス進化論の論旨です。

> 利己的遺伝子の概念は、個々の増減が起きる「メカニズム」を説明しているのではない

 その通り。だから、そのメカニズムを説明しているのが、クラス進化論です。
 クラス進化論は、ドーキンス説を全否定しているのではなくて、越えているのです。

> 他の遺伝子も増減の道連れにすることはある

 むしろ、常に、「他の遺伝子の道連れにされている」(影響を受けている)のです。
 ある遺伝子が単一で優劣が決まることは、きわめて例外的です。原則として、他の多くの遺伝子の影響を受けます。
 たとえば、肥満体型なら、栄養摂取能力と、脂肪分解能力など、多くの遺伝子が相互的に影響します。一つの遺伝子がそれ単独で優劣(増減)を決める、ということは、ほとんどありえません。多かれ少なかれ、他の遺伝子の影響を受けます。その影響を無視してはいけない、というのが、クラス進化論の眼目です。(無視していい、と主張すれば、ドーキンス説と同等になります。)
Posted by 管理人 at 2006年10月06日 02:17
重要な事実を追加しておきます。
最近の実験的な遺伝子研究では、「遺伝子がそれ単独で発現する」というふうに見なすのではなくて、「複数の遺伝子が相互に関連しながら、遺伝子の機能を発揮している」ということを、動的に研究しています。

 たとえば、性ホルモンを分泌する際にも、特定の一つの遺伝子が機能するのではなく、複数の遺伝子が関連しながら機能しています。

 遺伝子は、一つ一つが単独のバラバラのものではなくて、全体として巨大なネットワークのようなものを作っているのです。(小さなネットワークがたくさんある、と見なすといい。)

 こういう関連性を研究するのが、最新の実験的な遺伝子研究です。
Posted by 管理人 at 2006年10月06日 02:24
すぐ上のことについて、補足しておきます。
 複数の遺伝子の作用が相互に関連しているという実験事実を上げましたが、実は、複数の遺伝子の作用が相互に関連していない場合にも、遺伝子の増減については相互的な影響が現れます。これがクラス進化論の重要な点です。

 たとえば、こうです。
 まず、肥満体にするために、複数の遺伝子A,Bが関与している場合があります。この場合はもちろん、A,Bは遺伝子の作用が相互に関連しているので、A,Bの増減についても相互的な影響があります。

 次に、肥満体にするための遺伝子Aと、知能を低める(高めない)ための遺伝子Bとがあるとします。この場合は、AとBとは、遺伝子の作用としては何ら関係ありません。肥満体と知能とは何の関係もないからです。しかしながら、遺伝子の増減については、この二つ(AとB)は関係することがあります。

 具体的に言うと、例の文書にあるノイズ効果です。二つの遺伝子(AとB)は、個体数が多いときには関係しませんが、個体数が少なくなると影響が出ます。
 ただし、影響が出る形に注意。この二つ(AとB)だけの「二者関係」という形で影響が現れるのではなく、Aに対して、「1対n」(nは千ぐらい)の関係を考えて、Bは n 個のうちの一つとしての影響(n分の1の影響)があるわけです。この量はゼロではありません。

 この影響(n分の1の影響)は、量的には、n分の1しかないので、ほとんど無視できるぐらい小さな量の関係です。ただし、そういうものがn個合わさると、その全体の影響は無視できなくなります。
 
 影響がn分の1だけある、というものは、一つの遺伝子だけを考えるときには無視してもいいが、n個の遺伝子の全体を考えると、無視できなくなる。n分の1という値はほとんどゼロに近いので無視していいが、n分の1かけるn個になれば無視できなくなる。──こういうことが、遺伝子淘汰とマトリックス淘汰の根源的な違いです。

(比喩的に言えば、一人だけのささやきは無視できるが、数百人のささやきは大きな雑音となって無視できなくなる、ということ。)
Posted by 管理人 at 2006年10月06日 19:30
はっきりと読み落としをされているようなのでひと言だけ,
>Posted by 管理人 at 2006年10月06日 00:33
について。

>> ある行動の発現が2つの遺伝因子の組合せによる場合

> それは不利な形質が発現しない場合で、特殊な場合ですね。話の対象外です。

はっきりと「行動の発現」と書いてあるとおり,不利な行動が発現したケースの話をしています。
管理人さんが話の対象外だと思われるのであればそれで結構ですが。
Posted by 良寛 at 2006年10月06日 20:12
関連する話を書いたのですが、長文なので、別項にしました。

http://openblog.meblog.biz/article/41771.html
Posted by 管理人 at 2006年10月06日 22:38
あとで読み返したのですが、

>  「(一つの)遺伝子が個体を操作する」

という論点は、あまり正確な話ではないので、この論点についての話は、一応、取り下げます。

間違いというほどではないにしても、曖昧度が高いので、議論がうまく噛み合わないのです。要するに、学術的な話題にならないのです。ちょっと文学表現の解釈っぽい。論じると、言いがかりみたいな感じになります。

利己的遺伝子説の難点は別にたくさんあるし、クラス進化論の本質はこの論点とは別のことです。

結局、この論点は、話を錯綜させるだけなので、取り下げます。無視してください。

(なお、「間違いを修正する」というのではありません。そもそも修正のしようがない。あまり意味のない話題なので。)

(これを書きはじめた時点では、頭が進化論モードには入っていなくて、経済学のことばかり考えていたので、進化論についてはちょっと頭が濁っていました。そのせいで、曖昧な主張をしてしまいました。……このコメント欄に書いたことは、ただの書きなぐりです。まともな文章は、クラス進化論のサイトに書いてあるので、そちらだけを参照してください。コメント欄の話は、おおむね、無視してください。)
Posted by 管理人 at 2006年10月11日 21:41
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