「機械と人間はどちらが頭がいいか?」
というような話題があるので、これをめぐって示す。
(前項の「天気予報」の続き。)
※ ちょっとした補足です。──
前項の最後のあたりの
> ソフト以前に、使うべきデータベースの方がはるかに重要だ。
>(データベースが愚劣なら、以後はどうしようもないものになる。)
というのは、次のことだ。
たとえば、将棋ソフト同士の対戦棋譜を、どんなにたくさん集めてデータベースにしても、そんなデータベースからは下らない将棋ソフトしかできない、ということ。
優れた将棋ソフトを作るには、プロ棋士同士の棋譜がデータベースとして必要だ。
にもかかわらず、「機械が人間を上回ることができた」などと思うのは、とんでもない勘違いだ。たしかに将棋ソフトが素人将棋マニアに勝つことは可能だ。しかしそれは、機械が人間に勝ったのではなくて、プロ棋士の知恵がアマチュアの知恵に勝つのを、機械が形式的に演じただけだ。
機械が人間に勝つというのであれば、プロ棋士のデータベースなしに、機械だけで自力で発達する必要がある。ま、そういう可能性は、なきにしもあらず。しかし、それがプロ棋士のレベルに追いつくには、途方もない道のりが掛かる。
結局、コンピュータにおいて重要なのは、計算速度でもなくプログラム能力でもなくて、ソフトを設計するアルゴリズムを書くための人間的知力である。さらに言えば、アルゴリズムのもととなる、知の体系である。それはあくまで人間的なものだ。
(「当り前じゃないか、たいしたことは言っていないな」と思う人が多いだろうが、その通りです。すみません。ぺこり。これはただの、前項の補足です。)
2006年09月16日
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