2006年09月12日

◆ 眼の誕生


 「眼の誕生」という進化論の本がけっこう売れている。その趣旨は、こうだ。
 「カンブリア紀に進化の爆発が起こった。それは、なぜか? 眼の誕生があったからだろう。[これが本書の仮説] ……眼を獲得した捕食者は、捕食するのにきわめて有利であった。逆に、眼を獲得した非捕食者は、捕食者から逃れるために有利であった。捕食者は眼を獲得したことで、各器官を急激に進化させていき、非捕食者もまた眼を獲得したことで、各器官を急激に進化させていった。つまり、眼の誕生が進化をもたらした
 いかにももっともらしい説だが、論理的に考えれば、これはトンデモと言えるだろう。 ──

 (1) 進化の速度と幅
 一般に、環境の激しさは、進化の速度を高めるが、進化の幅を狭める。
 苛酷な環境では、進化の速度は高くなるが、進化の幅は狭くなる。その環境の最優秀(最強)のものだけが圧倒的に生き残り、他のものは追いやられるので、生物種の多様性は失われる。
 「眼の誕生」の説が正しければ、進化の速度は説明できるが、進化の幅は説明できない。
 たとえば、恐竜絶滅後には「哺乳類の進化の大爆発」があった。ここでは、自然淘汰が強かったから(苛酷な環境があったから)、進化の大爆発があったのではない。逆に、恐竜がいなくなって、自然淘汰が弱くなったから、進化の大爆発があったのだ。
 「眼の誕生」の説が正しければ、最強の捕食者と最強の非捕食者だけが生き残り、他のすべては淘汰されただろう。現実には、カンブリア紀には、非常に多様な生物種が生じた。捕食者に容易につかまってしまうような非捕食者もいたし、非捕食者をつかまえられないような捕食者もいた。実に多様な生物種が生じた。
 要するに、「眼の誕生」の説とはまったく別の事態が発生した。

 (2) 進化の理由
 より根源的に言おう。進化をもたらすものは何か? 
 「必要性に応じて進化が起こる」というのは、もはやほとんど「ラマルク説」である。「環境が進化をもたらす」というのも、ほとんどラマルク説である。そんなことはありえないのだ。
 たとえば、陸に出た魚が両生類に進化するのではない。魚から進化して両生類になったものが、陸に出られるだけだ。
 原因と結果を勘違いしてはいけない。何らかの原因があって結果が生じたとき、「結果が原因を招いた」と思うのは論理の倒錯である。
 眼が誕生したから進化が起こったのではない。進化が起こったから眼もまた発達しただけだ。そう考える方がよほど合理的である。

 (3) 性の誕生
 「眼の誕生」よりもはるかに合理的な説明がある。それは「性の誕生」だ。
 カンブリア紀以前と以後とで決定的な違いは、性の有無だ。(と推定される。)
 これ以前には無性の単細胞生物があるばかりだったが、これ以後には有性の多細胞生物が生じた。では、性の誕生は、何をもたらすか? 
 普通の進化論(ダーウィン説)は、(暗黙裏に)無性生殖を前提としている。つまり、そこでは、進化の理由は、個体同士または遺伝子同士の生存競争である。
 たとえば、A,B,Cという三種類の個体がいて、たがいに生存競争をして、最強のものが生き残る。
 あるいは、A,B,Cという三種類の遺伝子があって、たがいに生存競争をして、最強のものが生き残る。
 ここでは、単体の「個体」または「遺伝子」が競争する。

 一方、クラス進化論では、次のようになる。
 「遺伝子の組み合わせが競争する」
 たとえば、「A,B,C」という三種類の遺伝子をもつ個体と、その対立遺伝子たちの「a,b,c」という三種類の遺伝子をもつ個体とが競合する。この場合、組み合わせは、2の3乗で、8通りになる。(「a,B,c」など。)
 さて。このような組み合わせは、いかにして生じるか?
 もし性がなければ、親のクローンが生じるだけだから、いつまでたっても、組み合わせは変わらない。(せいぜい奇跡的な突然変異が起こった場合だけに変化が起こる。)
 しかし性があれば、多様な組み合わせが生じる。たとえば、「A,B,C」のオスと、「a,b,c」のメスから8種類の子供のいずれもが誕生できる。
 こうして、次の結論が得られる。
 「性があると、遺伝子の組み合わせに、莫大な多様性が発生する」
 たとえば、3種類の遺伝子対で、2の3乗の組み合わせが生じる。1万の遺伝子対なら、2の 10000乗の組み合わせが生じる。こうして、多様な組み合わせが生じる。
 そして、いったん多様な組み合わせが生じたなら、そのなかでは、多様なものの競争が起こるので、進化の速度もまた急激になる。遺伝子の組み合わせに、無性生殖ならば突然変異を待つので、気の遠くなるほどの時間が掛かったのだが、有性生殖ならば一回生殖をするだけでいい。人間ならば次世代の生殖までに20年ぐらい掛かるが、ミジンコぐらいの有性動物ならばごく短期間で次世代の生殖が起こる。かくて、急激に進化が起こる。かくて、進化の爆発が起こる。……そして、それは、無性生殖の時代には、決してなしえなかったことなのだ。

 結語。
 カンブリア紀に進化の爆発があったのは、「眼の誕生」があったからではなく、「性の誕生」があったからだ。── そう考える方が、はるかに合理的である。

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  【 追記 】
 「眼の誕生」という発想は、生物学的には、まったくセンスのない発想である。ほとんど素人的。なぜか? 
 たしかに「動物」を前提とするならば、動物にとって眼は非常に重要な組織だ。特に、解剖学的には、最も複雑で精緻であり、感嘆するしかないような見事さだ。進化論学者がここに目を奪われる気持ちはわかる。しかし目を奪われすぎて、真実が見えなくなってしまっている。

 眼というものは、あまりにも見事であるがゆえに、いきなり誕生したはずがないのだ。
 たとえば、コンピュータは人間にとって非常に重要だが、コンピュータはいきなり誕生したわけではない。「人間の本質はコンピュータを生み出したことだ」などと考えるのは、あまりにも現代人中心主義の発想であり、真実を見失っている。人間の本質は、どちらかと言えば、「考える力をもったこと」である。そこからコンピュータもまた誕生した。

 眼もまた同様だ。眼はいきなり誕生したわけではない。その前により根源的なことがあった。何か? 「神経の誕生」だ。そして、「神経の誕生」があったから、その延長上に「眼の誕生」もあった。

 では、「神経の誕生」とは、何か? それは、おおざっぱには「動物の誕生」と言えるし、より正確には「原索動物の誕生」と言えるだろう。ここから、感覚器官や運動器官の発達が生じた。その延長上に、「眼の誕生」もあった。

 だから、「眼の誕生」よりは、「神経の誕生」の方が、より本質的である。ただし、「神経の誕生」を重視するのは、あまりにも当たり前すぎて、新理論にはなるまい。

 というわけで、「眼の誕生」という説は、「神経の誕生」をよく理解しないまま勝手に導入した、素人じみた新説である。珍説と言える。もっともらしい理屈をこねあげてはいるが、「物事の一面だけを見て、もっともらしい理屈をつけただけ」であるにすぎない。一種の詭弁だ。
 こんなのにだまされるのは、素人だけでいい。

 ただし、逆に言えば、これを「珍説だ」と指摘できないような進化論学者たちは、みんなエセ学者なのである。どっちもどっちだ。目くそ鼻くそ。

 一番正しい認識は、「現代の(標準的な)進化論は、どこもかも破綻している、不完全な理論だ」と認識することだ。その認識のもとで、真実に向かった第一歩を歩み出せる。

 ──

 より詳しい説明は:
   カンブリア紀の爆発
   無性生殖と有性生殖 (この文書の後半)
   遺伝子の組み合わせ (マトリックス淘汰)
   表紙ページ (クラス進化論)
posted by 管理人 at 23:01| Comment(1) | 生物・進化 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>一般に、環境の激しさは、進化の速度を高めるが、進化の幅を狭める。
> 苛酷な環境では、進化の速度は高くなるが、進化の幅は狭くなる。その環境の最優秀(最強)のものだけが圧倒的に生き残り、他のものは追いやられるので、生物種の多様性は失われる。
> 「眼の誕生」の説が正しければ、進化の速度は説明できるが、進化の幅は説明できない。

この本で言っているのは,生物が視覚を獲得することで淘汰圧に「視覚という大きな要素が加わった」ということで,それを「環境が苛酷になった」というのは一面的な捉え方だと思われます。
視覚という要素が新たに加わったので視覚に対して意味をもつ様々な形状の外殻が現れたということでしょう。

> 「眼の誕生」よりもはるかに合理的な説明がある。それは「性の誕生」だ。
> カンブリア紀以前と以後とで決定的な違いは、性の有無だ。(と推定される。)

カンブリア紀の大爆発の説明としては性の誕生は年代が違うので,ズレをどう説明するのかが問題になるかと思います。
Posted by 良寛 at 2008年02月04日 23:37
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