2006年08月24日

◆ 確率解析


 伊藤清が確率解析の業績で第一回「ガウス賞」を受賞した。この業績については、あまり良い解説がないようなので、私なりにざっと述べておこう。 ──

 述べておくとは言ったが、私はこの分野に通暁しているわけではない。マルコフチェインなどについては一通り勉強したが、たいして良く覚えているわけでもない。改めてあちこちで調べた末、ざっと次のようにまとめておく。

 基本的には、こうだ。
 「ブラウン運動のようなノイズが確率に影響する原理を知る」

 もう少し大局的に述べるなら、こうだ。
 「この業績は、基本的には、確率論の分野の業績である。確率論は、ただのサイコロの統計的な分析に始まったあと、高度な数理処理をすることで発展してきた。その延長上で、確率を微分方程式を使って表現する流儀が出た。伊藤清の業績もこの分野に当たる。
 この分野の業績では、コルモゴロフの業績が大きい。特に、始祖的な重要性がある。アインシュタインのブラウン運動も、この分野の確率過程の典型的な一例として認識されるに至った。その集大成の形で、伊藤清の業績もなされた。
 この分野は、ただの数理論ではなくて、実社会との関連性が大きい。というのは、実社会では、確率的な現象がしばしば見られるからだ。自然現象におけるゆらぎやノイズも適用例だし、株価の変動や経済の変動も適用例となる。
 通常の自然科学的な方法は、『方程式を書いて、解が一意的に決まる』というタイプのものだ。しかるに現実には、そういうタイプではなく、確率的に解が不定になることが多い。その理由は、ノイズがまぎれこむからだ。
 一般に、一個のもの(単体)だけの現象は、一意的に決まることが多いが、多くのものが複雑にからみあって生じる現象は、確率的に決まることが多い。社会現象のほとんどはそうだ。というわけで、社会現象の考察には、確率的な方法が役立つ。そして、確率的な方法を高度に用いると、この分野の高度な数学的業績が役立つ。そのなかで特にめざましい業績を上げたのが、伊藤清だ」


 ま、おおざっぱに言えば、この分野の基盤を与えた、といえよう。基盤があまりよくわかっていなくて、曖昧で、ふらふらしている状況のときに、確固とした基盤を与えたわけだ。それはもちろん、非常に重要な業績である。

( ※ ただし、既存の基盤をひっくり返した、というのとは違う。その意味で、アインシュタインの業績とは異なる。どちらかと言えば、シュレーディンガーやハイゼンベルクの業績に近い。それに似たようなことを、確率論というあまり目立たない分野で成し遂げた。ただし、あまり目立たないとしても、社会的にはとても有益であった。)

 ──

 なお、誤解する人が多いと困るので、次のことを補足しておく。
 「高度な数学を駆使すれば、将来を正確に予想できて、株式運用でボロ儲けできる……ということは、ありえない」
 
 高度な理論というのは、正確な予測をなすためと言うよりは、誤りを最小限にするためにある。「必ず儲かるため」というよりは、「損を最小限にするため」つまり「リスクを最小限にするため」にある。……この両者は、似て非なるので、混同しないように。
 馬券で言えば、高度な数学を駆使しても、「必ず馬券が的中」なんていうことはありえない。ただし、「ハズレを最小限にする」ということはできる。
 ま、馬券ならば、「ハズレを最小限にする」というやり方では、政府に寺銭をがっぽり取られるので、損するだろう。一方、株ならば、証券取引所の寺銭はほとんどゼロなので、「ハズレを最小限にする」というやり方でも、利益を出すことができる。そのやり方で、「得をする量は 1%」というふうになったとしても、「100円が101円になる」ということを、大規模な資金で運用すれば、かなりの利益を出せる。……これがまあ、デリバティブだ。
 ただし、しょせんは、確率的なものだ。たいていはそれでうまく行くが、まれに、とんでもない大損をすることがある。その例が、エンロンだ。あまりにも大規模な資金運用をしていたので、まれな大波が来ると、その直撃を食らって、吹っ飛んでしまった。

 確率ごっこで儲けることは可能だが、確率ごっこはしょせんはマネーゲームである。実際に何らかの富を自ら生み出す作業ではなくて、ゼロサムのなかで金のぶんどりあいをする作業だ。
 それで金儲けをすることは可能だろうが、それが富を生み出す生産過程だと思うのならば勘違いである。
 「自分では何も生産しないが、他人の生産したものを頂戴して、金儲けをしたい」
 という人のための方法だ。ま、高度な数学というのは、使いようによっては、詐欺師のための道具ともなるものだ。馬鹿とハサミは使いよう。立派な科学は、社会への貢献のために使うこともできるが、社会の富を奪って私腹を肥やすためにも使うことができる。
 
 「確率過程理論のおかげで、デリバティブというすばらしい分野が開けた」
 という評価は、あまり適切ではない。むしろ、
 「デリバティブという分野で私腹を肥やそうとした小賢しい連中のために、確率過程理論は有益だった。この理論のおかげで、彼らはさんざん私腹を肥やし、その分、社会の富は奪われた」
 というふうに評価するべきかもしれない。

 ま、デリバティブは、リスク負担という点で、保険に似たものだ。保険を買った客は、リスクの負担を免れるので、何らかの利益を得る。その一方で、保険会社は、帳簿をちょいちょいといじるだけで、莫大な金を懐に入れ込む。……そういうのを、良いといっても悪いと言っても、仕方ない。
 ま、「他人の弱みを利用して、自分の懐を豊かにしよう」と思っている人なら、デリバティブや保険という仕事をやるべきだし、そのおかげで、自分では何一つ生産しないまま、多額の金を頂戴することができる。
(ただし、頭が必要。並みの頭じゃ無理ですね。カモになるだけだ。……知性を使ったギャンブル、というのが適切な評価かもしれない。)
posted by 管理人 at 00:12| Comment(0) | 科学トピック | 更新情報をチェックする
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